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カテゴリ:演劇、観劇
カンヌ映画祭でパルムドール賞を受賞したレスリー・チャン主演の映画で有名だと聞きました。
同名の作品を蜷川幸雄が演出、そして京劇の女形の俳優・蝶衣(テイエイ)を東山紀之が務めます。 1924年、北京。 指を6本持った9歳の少年は、遊郭では大きくなった男の子は育てられないからと、母からその指を1本切り落とされて科班(プログラムによると19世紀から20世紀初めのころにかけてあった伝統演劇俳優養成所)へ預けられ、そのまま母とは生き別れました。 血のにじむような訓練の末、女形として育てられた小豆子は、チョン・テイエイという名で数々の名優が演じてきた虞姫の役を演じるに至ります。 舞台の外では戦争が起こり、そして1960年代には文化大革命に突入し、権力の嵐が吹く時代へと向かっています。 演じ踊ること、そのこと自体が俳優である彼らの運命を左右し、舞台の上までが戦場となっていくのです。 京劇の女形という存在、そしてその様式美に、日本の歌舞伎の世界がダブります。 そして役者として完璧であることを求めるテイエイの信念に、歌舞伎の女形、坂東玉三郎を思い浮かべていました。 ただしテイエイは舞台の外でも舞台衣装で生活するほど、女として、演じる役の虞姫として、彼の人生を生きていました。 そして兄と慕う覇王を演じるトアン・シャオロウ(遠藤憲一)が愛する女性(木村佳乃)の存在が、シャオロウとテイエイとの関係に変化をもたらします。 この作品の舞台の上で、男性の存在を「芸術」の象徴とするならば、女性は「俗」あるいは「現実」に映ります。 その対比に、テイエイの生きる世界が浮き彫りになりました。 時代は急速に変化し、芸術のあり方まで世に問われるようになります。 舞台の外では現実の姿で生きることを強要され、さらに我が子のように面倒をみてきたシャオスー(中村友也)がライバルとしてテイエイを古いものと非難し、蹴落としにかかった時、テイエイは生きる場所を失いました。 その戸惑いと潔さが、舞台の外でただ傍観する存在である観客の心に突き刺さります。 この作品には普遍的なテーマを感じます。 国を動かす道具として芸術が利用され、規制され、そしてその流れが変わって、犠牲となるのは誰なのか。保身のために人々は何をするのか。 人々の心を動かす世界であるだけに、その存在と継続は大変ナイーブなものだと思いました。 さて、東山紀之について。 初めて観た舞台の上の彼は、その踊りと心情を音楽にのせて語る声、瞳、すべてが役そのものとして感じさせる魅力の大きさに、ただ引き込まれるばかりでした。 この役は彼のものとして記憶に留どめておきたい想いを抱き、劇場を後にしました。 原作・李碧華(リー・ピクワー)、脚本・岸田理生、演出・蜷川幸雄、音楽・宮川彬良、美術・中越司、照明・勝芝次朗、音響・井上正弘、衣裳・前田文子、ヘアメイク・鎌田直樹、振付・広崎うらん 観劇後に映画を観ました。 岸田理生の脚本が映画の全ての要素を含んでいるのに驚きました。 そして、京劇を音楽劇として観客の想像力を駆り立てた宮川彬良の音楽に魅了されました。 シンプルでいて映画の印象そのままの舞台美術も見事です。 ※公演詳細はシアターコクーンの公式サイトで。 (シアターコクーンにて) この後、梅田芸術劇場シアタードラマシティで上演されます。(4/5-13) ☆原作・李碧華、翻訳・田中 昌太郎「さらば、わが愛」―覇王別姫 ハヤカワ文庫 ☆映画『さらば、わが愛 覇王別姫』DVD お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.03.31 00:24:11
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