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2年に一回の日本車椅子バスケットボール連盟のクラス分け部の総会で役員改選があり,前期に引き続き副会長を務めるよう,新部長からご推薦を受けた.もう1名の副会長も先輩の健常クラシファイヤーなので,プレーヤーのクラシファイヤーとも思い,悩んだが,お引き受けし部長を支えて行く事に決めた.任期は来年1月~再来年12月までとなる. 副部長の役割は部長の補佐ですが,日本のクラシファイヤーの一員として,自分が信じるクラシフィケーション,つまり選手の持ち点分類を評価し,選手とコーチに伝え,同意を得て決定していくことへの考え方を後輩のクラシファイヤーだけでなく,日本全国の選手やコーチに伝えていくことも重要だと思っている.副部長2期目の節目を迎えたので,ブログでクラシフィケーション(日本語ではクラス分けだが,世界を意識して英語発音を使っていこうと思う)への自分の想いを綴っていく. クラシフィケーションはドイツのPTストローケンドルが80年代に提唱した事がそもそもの始まり.それまではメディカルチェックといって医師が簡単な体幹バランスのテストを行って選手(その頃は殆どが脊髄損傷やポリオだった)の残存能力を評価し,クラス(持ち点)を決定していた. そのテストはこうだ.1.車椅子の前方にボールを置いて両手で頭上に持ち上げる事ができるか? 2,両手で車椅子の横でドリブルをつけるか? 3.車輪の横に置いたボールを両手で頭上に持ち上げる事ができるか? ところが,そのテストだけでは,正当な持ち点に分類されているかどうか疑わしいケースが散見されるようになった.それは,テスト動作がリアルな車椅子バスケの状況ではないため真の能力が発揮されていないため,また,車椅子バスケはオンザコートの5人の合計持ち点が制限されているため,自分の持ち点が上に判断されないような警戒心が働いた結果かもしれない. それで,実際のゲーム場面で,これまでテスト場面で行っていた動作の範囲が,各クラスでどのように違うのか,その時の首や体幹や足の動きや反応の仕方はどうなるのか,それらが分類された.そして,その動きを評価する人をクラシファイヤーと呼び,医師やOTPTだけでなく,選手自身が評価しその結果をディスカッションして,自分たちの持ち点を決めるという今の制度の原型ができあがった.それが1992年のバルセロナパラリンピック. こんな歴史的背景がクラシフィケーションにはある. (続く) Byゴーグル
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最終更新日
2012.10.21 07:11:25
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