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《櫻井ジャーナル》

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2012.08.26
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 ラテン・アメリカ諸国がイギリスの前に立ちはだかった。内部告発を支援する目的で創設されたウィキリークスの看板、ジュリアン・アッサンジをイギリスの警察が逮捕しようとしているのに対し、エクアドル政府が「亡命」を認めたことで両国の対立が深刻化しているのだが、この対立でUNASUR(南米諸国連合)はエクアドルに「連帯」することを明確にした。ロンドンにあるエクアドル大使館には、各国の大使が支援を表明するために訪れている。

 アメリカ軍のヘリコプターが非武装の人びとを銃撃する映像や外交文書を公表したことでアメリカ政府から敵視されていたアッサンジを「お尋ね者」にする出来事が起こったのは2010年8月20日のこと。この日、ふたりの女性がスウェーデンの警察に出向き、アッサンジにHIVの検査を受けさせられるかと相談したのだという。

 この訴えを受けて逮捕令状が出され、スウェーデンのタブロイド紙が警察のリーク情報に基づいて「事件」を報道して騒動が始まるのだが、翌日には主任検事のエバ・フィンが令状を取り消してしまう。レ○プした疑いがあるとは認めなかったのである。

 ところが、9月1日にこの決定を検事局長のマリアンヌ・ニイが翻して捜査を再開を決めるのだが、9月27日にアッサンジはスウェーデンを離れた。ニイが逮捕令状を請求したのは11月のことだ。

 メディアは容疑をレ○プというショッキングな表現を使っていたのだが、実際は合意の上で始めた行為におけるコンドームをめぐるトラブルのようで、しかもアッサンジ側は女性の訴えを事実無根だとしている。

 時間の経過とともに、事件の胡散臭さを感じさせる事実も浮かび上がってくる。被害者とされる女性はアンナ・アーディンとソフィア・ウィレンのふたりなのだが、アーディンは「不実な男」に対する「法的な復讐」を主張するフェミニストで、ふたりの女性と同時につきあう男を許さないタイプであり、彼女のいとこであるマチアス・アーディンがスウェーデン軍の中佐で、しかもアフガニスタン駐留軍の副官を務めた人物だという話が出てきた。

 しかし、最も驚かせた事実は、彼女が反カストロ/反コミュニストの団体と結びついているということ。この団体はアメリカ政府から資金援助を受けていて、CIA系の「自由キューバ同盟」と関係がある。彼女自身も国家転覆活動を理由にしてキューバを追放された過去があるようだ。彼女がキューバで接触していた「フェミニスト団体」は、CIA系のテロリスト、ルイス・ポサダと友好的な関係にあるとも言われている。

 このアーディン以上に興味のある人物がフレデリック・レインフェルト首相。スウェーデンでは2010年9月19日に総選挙が予定されて、与党は苦戦が予想されていた。このレインフェルトがコンサルタントとして雇っていた人物がカール・ローブ

 ローブはジョージ・W・ブッシュ米大統領の次席補佐官を務めた人物で、意に添わない連邦検察官10名近くを解雇、最終的には93名の検察官を解雇しようとしたとされている。スウェーデンでは、カール・ビルト外相と個人的に親しい。

 これに対し、アッサンジ側はスペインの元判事、バルタサール・ガルソンを雇った。判事だった2009年、ガルソンはブッシュ・ジュニア政権の高官6名を起訴しようとしたことでも知られている。6名とは、拷問などアメリカ憲法を無視する政策を推進する際、法律面で中心的な役割を果たしていた人びと。司法長官を務めていたアルバート・ゴンザレス元司法長官、法律顧問だったジョン・ユー、国防次官だったダグラス・フェイスも含まれていた。

 その前にはオーグスト・ピノチェト元チリ大統領を起訴しようとしたことがある。ピノチェトは1973年9月11日、軍事クーデターでサルバドール・アジェンデ政権を倒し、独裁者になった。このクーデタはCIAに支援されていたが、その背後にはヘンリー・キッシンジャーがいた。

 民主的に選ばれた政権を破壊工作や軍事力で倒すというアメリカ支配層の得意技が出たということだが、ピノチェトを起訴するということは、こうしたアメリカの得意技を問題にするということになる。

 ラテン・アメリカの独裁者(いずれもアメリカ支配層の傀儡)は連合していたので、ピノチェトの問題はラテン・アメリカ全域に広がる。それだけでなく、ピノチェトはNATOの秘密部隊やナチスにつながる人物とも交流があったので、こうした問題にまで波及する可能性があり、世界を支配しているシステムが揺らぎかねない。

 詳しい話は割愛するが、ともかく1998年にガルソンはイギリス政府にピノチェトの逮捕を要請した。治療のため、ピノチェトはイギリスを訪問していたのだ。言うまでもなく、コンドームの装着をめぐる問題よりも重大な事件である。

 この要請を受けてイギリス政府は一旦、ピノチェトを拘束するのだが、米英の支配層は激しく反発する。中でも積極的に動いたのがマーガレット・サッチャー元首相。こうした働きかけもあり、イギリス政府は2000年、「進行性脳障害」を理由にしてピノチェトを釈放した。このケースとアッサンジのケースを比較して、イギリス政府の対応を批判する人もいる。ガルソンを雇ったというだけでも、こうしたことを思い出させる効果があったかもしれない。





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最終更新日  2012.08.26 22:44:18



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