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《櫻井ジャーナル》

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2014.10.12
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 日本人はノーベル賞が好きなようだが、今年の平和賞受賞者はパキスタンのマララ・ユスフザイとインドのカイラシュ・サティヤルティなのだという。アメリカはパキスタンでの攻撃を正当化するひとつの理由として「女性の権利」を掲げているが、その看板に描き込まれたキャラクターのひとつがユスフザイ。サティヤルティは子どもの労働問題に取り組んでいるようだが、「平和」のための活動とは言い難いだろう。

 ノーベル賞に西側支配層の宣伝機関としての役割があることは否定できない。学問分野の評価もそうだが、醜悪なのは平和賞。まず目につくのは1973年に受賞したヘンリー・キッシンジャーだ。この人物は大量殺戮の黒幕として有名で、例えば1969年にはカンボジアへの爆撃を開始、数十万人を殺したと言われている。受賞の年にはチリで軍事クーデターを実行させ、サルバドール・アジェンデ大統領を死に至らしめただけでなく、アメリカの巨大資本にとって目障りな人びとを殺させている。

 1974年に受賞した佐藤栄作の場合、1965年に「中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだ」とリンドン・ジョンソン米大統領に語ったとされている。1967年に政府は「動力炉・核燃料開発事業団(動燃)」を設立、69年には西ドイツ政府に対し、核武装によって超大国への道を歩もうと提案している。当時、こうした事実は一般に知られていなかったが、この話をさておいても、佐藤が世界の平和に貢献したとは言い難い。

 1975年にはソ連で体制批判をしていた、つまりアメリカ支配層にとって都合の良い人物だったアンドレイ・サハロフ、78年にはキッシンジャーに操られていたエジプトのアンワール・サダト、そしてシオニストの「テロ組織」イルグンの指導者だったメナヘム・ベギン、83年にはCIAの支援を受け、ポーランドで反体制運動を続けていたレフ・ワレサ、89年のダライ・ラマは中国政府と対立、少なくとも一時期はCIAの支援を受け、その支持者がアメリカのロッキー山中で軍事訓練を受けている。

 1993年に受賞した南アフリカのネルソン・マンデラの場合、経済の支配構造を維持、欧米巨大資本の利権を守っている。2009年のバラク・オバマ米大統領の場合、受賞してから戦争への道を突っ走り始めた。

 2010年の劉暁波は「中国民主化闘争」の象徴的な存在。コロンビア大学の研究員だったが、1989年に中国へ戻り、天安門での抗議活動に参加している。その後も反体制運動を中国国内で続け、投獄されている。中国を支配したいアメリカの支配層にとって大事な手駒だろう。

 天安門での抗議活動は1989年4月から6月にかけて行われた。今でも大半の「西側」メディアは6月4日に天安門広場で「虐殺」があったと報道され、劉暁波に関して話される場合でも、それが前提になっている。

 「天安門広場での虐殺」を最初の報じたのは香港のサウス・チャイナ・モーニング・ポスト紙(南華早報)。当時、香港はまだイギリスの直轄植民地で、1997年の返還を前にイギリスと中国は緊張した関係にあった。この報道を使い、西側のメディアはこの話を事実として宣伝しはじめる。

 しかし、本ブログでも指摘してきたことだが、その前提が怪しいのだ。例えば、2011年6月に公表されたWikiLeaksが入手した外電で取り上げられたチリ外交官の証言によると、銃撃があったのは広場の外で、広場の中で軍が群集に発砲した事実はなく、広場へ入った部隊は棍棒を持っていただけだとされている。

 イギリスのテレグラフ紙によると、当時、BBCの特派員として現場にいたジェームズ・マイルズは自分たちが「間違った印象」を伝えたと2009年に認めたという。治安部隊が広場へ入った段階で残っていた学生は外へ出ることが許され、天安門広場で虐殺はなく、死者が出たのは広場から5キロメートルほど西の地点で、数千人が治安部隊と衝突したと語っている。

 こうした話はマイルズより前にワシントン・ポスト紙の北京支局長だったジェイ・マシューズもコロンビア大学の出している雑誌、「CJR(コロンビア・ジャーナリズム・レビュー)」(1998年9/10月号)に書いている。広場に到着した軍隊は残っていた学生が平和的に立ち去ることを許したと現場に居合わせた人は話していたという。

 当時、学生をひきいていたひとりの吾爾開希(ウイグル系の名字)は200名の学生が射殺されるのを見たと発言していたが、その出来事があったとされる時刻の数時間前、彼は広場から引き上げていたことが後に判明している。

 広場の外で治安部隊と衝突した群集の多くは労働者だったようだが、そうした事態を招いた一因は経済政策にある。中国は1980年にミルトン・フリードマンの「理論」を導入して「市場経済路線」を歩み始めた。この年、フリードマンは中国政府の招待で訪中している。(Naomi Klein, “The Shock Doctrine”, Metropolitan Books, 2007)

 ところで、マララ・ユスフザイを銃撃して負傷させたタリバンはアメリカが作り上げた組織。同じようにアメリカが生みだし、育ててきたIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)は「短期間の結婚」という名目でレイプを容認しているが、最近、ISに拘束されたキリスト教徒やヤジーディー教徒の女性数百名が「性奴隷」として売られているという話も伝わっている。こうした事態を招いているのは、ユスフザイを祭り上げている西側の支配層にほかならない。





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最終更新日  2014.10.12 18:44:55



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