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《櫻井ジャーナル》

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2015.05.21
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 日本共産党の志位和夫委員長は5月20日に安倍晋三首相と党首討論を行った。その中で「ポツダム宣言」は日本が「世界征服ノ挙」に出たと主張していることを指摘、それに対して安倍首相は「その部分をつまびらかに読んでおりませんので、承知はしておりませんから、今ここで直ちにそれに対して論評することは差し控えたいと思います」と応じた。つまり解答を拒否したわけだ。

 言うまでもなく、日本はポツダム宣言を受け入れるところから「戦後」をスタートさせている。首相がポツダム宣言を「つまびらかに読んでおりません」と発言することは許されないのだが、そう言わざるをえなかったのだろう。安倍首相のグループはポツダム宣言を無視、あるいは否定することで一種のカタルシスを実現してきたわけで、この宣言を前提にした議論をするわけにはいかない。この宣言に踏み込むと、安倍首相の「キャラ」が崩壊する可能性がある。

 ポツダム宣言は領土問題にも深く関係している。この宣言は、「『カイロ』宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」と定めている。「カイロ宣言」の条項を履行し、日本の主権は本州、北海道、九州、四国と連合国が決める周辺の小さな島々に限定するとしているのだ。確定しているのは本州、北海道、九州、四国だけである。

 カイロ宣言には、「千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国ガ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト竝ニ満洲、台湾及膨湖島ノ如キ日本国ガ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコト」と書かれている。

 第1次世界大戦の後、日本が奪い、占領した太平洋の島々を取り上げ、満州、台湾、膨湖諸島をはじめとする日本が「清国人」から奪った一切の地域を「中華民国」に返還しなければならないというのだ。英文を読むと「清国人」の部分は「Chinese」なので中国人と理解できるが、台湾出兵は1874年、台湾と膨湖諸島の割譲は1894年から95年にかけての日清戦争の結果で、「清国人」を誤訳と言うことはできない。

 1946年1月に出された連合軍最高司令部訓令によって、連合国は日本に帰属する小さな島々を決めた。その小島は「対馬諸島、北緯三〇度以北の琉球諸島等を含む約一千の島」で、「竹島、千島列島、歯舞群島、色丹等を除く」とされている。国後島と択捉島は千島列島の一部で、本来なら、日本は韓国やロシアとの間に領土問題が存在しない。

 尖閣列島について、1895年1月に閣議決定を経て正式に日本の領土として編入されたと日本政府は主張、「1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認」したとしている。ただ、この閣議決定は官報に掲載されず、つまり外部に公表されていない。公表したくない事情があったと勘ぐられても仕方がない。

 日清戦争で日本が中国から奪った領土を返せと連合国は命じているのだが、問題の閣議決定があった2カ月後、日本の伊藤博文と陸奥宗光は清国全権だった李鴻章と下関で第1回会談を開いている。4月に講和条約(下関条約)が締結された。尖閣諸島が「満洲、台湾及膨湖島ノ如キ日本国ガ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域」に含まれるという解釈も成り立つ。

 何度も書いているように、本ブログでは日本の侵略が1872年の「琉球藩」設置、つまり「琉球併合」から始まると考えている。

 イギリスを後ろ盾にした薩摩藩と長州藩を中心とする勢力は徳川体制を倒した後、中央集権体制を構築するため、1871年7月に廃藩置県を実施するのだが、その3カ月後に宮古島の漁民が難破して台湾に漂着して何人かが殺されると目を台湾へ向ける。1872年に日本へやって来た厦門のアメリカ領事だったチャールズ・リ・ジェンダーは外務卿の副島種臣に台湾への派兵を勧めているので、これも影響しただろう。その年に琉球藩をでっち上げた。台湾へ軍隊を送り込んだのは1874年だ。

 1875年に明治政府は朝鮮半島で江華島事件を引き起こしている。朝鮮の首都だった漢城(現在のソウル)に通じる要衝、江華島の近くに軍艦を派遣して挑発したのだ。これは軍事衝突に発展し、日本は朝鮮から治外法権を獲得した。

 リ・ジェンダーは1890年から99年まで李氏朝鮮の王、高宗の顧問を務めているが、当時、朝鮮の王室では興宣大院君(高宗の父)と閔妃が激しく対立していた。この対立にリ・ジェンダーが介入していたことは想像に難くない。

 1894年には甲午農民戦争(東学党の乱)が起こって閔氏の体制が揺らぐが、それを見た日本政府は「邦人保護」を名目にして軍隊を派遣、その一方で朝鮮政府の依頼で清も出兵して日清戦争が勃発、日本の勝利で終わった。清の敗北でロシアへ接近することが予想された閔妃を1895年に日本の官憲と「大陸浪人」は惨殺、1904年に日露戦争が始まり、中国への軍事侵攻、そしてポツダム宣言へとつながる。安倍政権はこうした侵略の連鎖をまだ続けようと目論んでいるように見える。





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最終更新日  2015.05.22 13:21:00



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