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《櫻井ジャーナル》

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2015.12.08
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 フランスで12月6日に実施された地域圏議会選挙の第1回投票で国民戦線が27.73%を獲得して第1党になった。第2位は国民運動連合(共和党)で26.65%、社会党は23.12%にとどまって第3位だった。

 11月13日にパリの施設が襲撃されて約130名が殺されたとされている(フェイク説もある)が、その事件で共和党や社会党も移民の受け入れを主張できる環境になり、国民戦線に優位な要素は減ったと見られていたのだが、それでも共和党や社会党は第1党の座を獲得できなかった。

 現在でも国民戦線をメディアは「極右」と表現しているが、マリーヌ・ル・ペン党首は父親とは違って人種差別的な言動をせず、国民の気持ちを代弁する形になっていたので、当然の結果とも言える。少なくとも現在の国民戦線を「極右」と呼ぶことは正しくないだろう。西側のメディアが国民戦線を攻撃する最大の要因はアメリカ支配層の政策に批判的だからで、今後、攻撃は激しくなる可能性が高い。

 アメリカとの関係という点では、共和党も距離をおきはじめていた。ニコラ・サルコジ党首はロシアに接近、7月23日から24日にかけては同党の議員団がクリミアを訪問している。今回の選挙結果は、アメリカ支配層への従属度と逆になったとも言える。

 フランソワ・オランドが率いる社会党はアメリカの傀儡だが、その前には違った意見の有力者が同党にもいた。例えば、ドミニク・ストロス-カーンだ。有力な党首候補だったのだが、IMF専務理事だった2011年5月、アメリカ滞在中に逮捕、起訴されてしまう。レイプ疑惑をかけられたのだが、途中で取り下げられている。冤罪だった可能性が高いようだ。

 逮捕される前の月にストロス-カーンはアメリカのブルッキングス研究所で演説、その中で失業や不平等は不安定の種をまき、市場経済を蝕むことになりかねないとし、その不平等を弱め、より公正な機会や資源の分配を保証するべきだと発言していた。進歩的な税制と結びついた強い社会的なセーフティ・ネットは市場が主導する不平等を和らげることができ、健康や教育への投資は決定的だと語っただけでなく、停滞する実質賃金などに関する団体交渉権も重要だともしている。新自由主義批判だ。そして登場してきたのがオランドで、2012年5月からフランス大統領になる。

 庶民から政策の決定権を奪うことになったEUの歴史を振り返ると、1922年にベルギーのブリュッセルで創設されたPEU(汎ヨーロッパ連合)に突き当たる。オットー・フォン・ハプスブルク大公が中心人物だったようだが、イギリスの選民秘密協会人脈のウィンストン・チャーチルも参加していた。

 作家の堀田善衞は「めぐりあいし人びと」の中で次のようなことを書いている。

 「ヨーロッパ各国の旧貴族たちは、それぞれどこかで血がつながっている、すべて親戚なわけです。たとえば、ベルギーのブリュッセルにECの事務局がありますが、そのECの幹部たちのほとんどは旧貴族です。つまり、旧貴族の子弟たちが、今ではECをすべて取り仕切っているということになります。」

 各国政府の力が弱められたEUではこうした傾向が強まっているだけでなく、アメリカ支配層の傀儡と化している。その象徴的な存在がビルダーバーグ・グループだ。このグループの第1回目の会議は1954年5月に開かれているが、その開催場所がオランダにあるビルダーバーグ・ホテルだったことからこう呼ばれるようになった。

 グループの初代会長は同ホテルのオーナーだったベルンハルト王子だが、生みの親はユセフ・レッティンゲルなる人物だと考えられている。レッティンゲルは戦前からヨーロッパをイエズス会の指導の下で統一しようと活動、大戦中はロンドンへ亡命していたポーランドのウラジスラフ・シコルスキー将軍の側近だった。

 ビルダーバーグ・グループの上部機関と見られているのがACUE(ヨーロッパ連合に関するアメリカ委員会)。1948年にアレン・ダレスなどアメリカのエリートがチャーチルらの協力を得て設立、ウィリアム・ドノバンが委員長に就任している。こうした人びとが考えていたヨーロッパ統一とは、アメリカ支配層が支配する仕組みであり、自立した存在ではない。自立し、民主的な仕組みならばEUにも存在意義はあるだろうが、実際はアメリカ支配層の傀儡だ。

 ドノバンはウォール街の弁護士で、アメリカの戦時情報機関OSSの長官。その友人でやはりウォール街の弁護士だったアレン・ダレスはドノバンの誘いで情報活動の世界へ足を踏み入れ、第2次世界大戦後は情報/破壊活動を指揮することになる。

 また、1945年4月にフランクリン・ルーズベルト米大統領が執務室で急死、5月にドイツが降伏すると首相だったチャーチルはJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連へ軍事侵攻するための作戦を立案するように命令、「アンシンカブル作戦」が提出された。7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていたが、これは参謀本部の反対で実現していない。その直後、チャーチルは下野した。そのチャーチルは1946年3月、アメリカのミズーリ州フルトンで演説、その中で「鉄のカーテン」が降りていると発言、「冷戦」の幕は上がる。

 1963年6月10日、ジョン・F・ケネディ大統領はアメリカン大学の卒業式でソ連との平和共存を訴えた。好戦派による全面核戦争の目論見を封印し、冷戦に幕を下ろそうとしたのだが、その年の11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された。

 なお、その前年の8月にフランスではシャルル・ド・ゴール大統領の暗殺未遂があったのだが、その背景はケネディ大統領暗殺と重なる部分があり、アレン・ダレス人脈の存在も指摘されている。暗殺未遂から4年後、フランス軍はNATOの軍事機構から離脱、その翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)がパリを追い出された。フランスがNATOの軍事機構へ一部復帰すると宣言したのは1995年、NATOへの完全復帰は2009年。ニコラ・サルコジ政権のことだ。






最終更新日  2015.12.08 16:28:43
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