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《櫻井ジャーナル》

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2016.04.17
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 アメリカで「9/11」が大きな問題として再浮上してきた。この事件に関する公式見解に納得していない人は多いが、この出来事に関する報告書が公表される際に削除された28ページを明らかにするようにという圧力が強まり、バラク・オバマ大統領は任期終了までに公表するという話が流れているのだ。

 この報告書を作成した委員会は独自に調査したわけでなく、支配層が絶対に明かせない事実は記載されていないはずだが、それでも2名のサウジアラビア人が攻撃に関与、そのふたりはサウジアラビア政府から支援を受けていたとされているという。

 こうした動きを懸念したサウジアラビア政府は、実際にできるかどうかは別として、自分たちが保有する財務省証券7500億ドルを売却すると脅している。現在、財務省証券の最大保有国は中国、その次が日本で、サウジアラビアは第3位だということになっているのだが、本当の保有量は明らかでない

 言うまでもなく、「9/11」とは2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センター(WTC)とワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、WTCの超高層ビル2棟と攻撃を受けていない7号館が解体作業のように崩壊した出来事を指す。これを利用してジョージ・W・ブッシュ政権は「愛国者法」を成立させて憲法の機能を停止、中東で侵略戦争を開始している。愛国者法の準備は1980年代にCOGプロジェクトとして進められていた。

 航空機が超高層ビルへ突入してから5時間もしないうちにドナルド・ラムズフェルド国防長官は部下に対してイラク攻撃のプランを考えろと命令、10日後にペンタゴンを訪れたウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官は、国防長官の周辺でイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを先制攻撃する計画ができあがっていることを知ったという。このうちイラク、シリア、イランの3カ国は1991年にポール・ウィルフォウィッツ国防次官(当時)が5年以内に殲滅するとクラークは聞いていた。

 ブッシュ・ジュニア政権は「9/11」の直後、詳しい調査が行われていない段階で「アル・カイダ」が攻撃、実行グループの主犯格はエジプト出身のモハメド・アッタだと断定した。このアッタを含む19名が旅客機をハイジャック、そのうち15名はサウジアラビア人だとされている。

 事件の直後、アッタはアラバマ州のマクスウェル空軍基地の国際将校学校にいたと報道されていた。別のふたりがテキサス州のブルックス空軍基地の航空宇宙医学校やカリフォルニア州の国防総省語学研修所外国語センターで教育を受けたとも伝えられるなどアメリカの軍や情報機関との関係をうかがわせる情報が流れている。その一方、アッタの仲間はラスベガスで酒を飲み、ギャンブルをし、ストリップ・クラブに通うなど「イスラム原理主義者」とは思えない行動が報道されている。

 アッタたちをイスラエルの情報機関やアメリカ軍のSOCOM(特殊作戦軍)が監視していたとする情報もある。SOCOMは1999年にアル・カイダに関係したグループを調べるために「エイブル・デンジャー」をスタートさせ、アッタも追跡していたというが、ブッシュ・ジュニア政権が誕生した直後に中止させられてしまう。

 「9/11」の直後、「エイブル・デンジャー」の元メンバーは、アッタが「ブルックリン細胞」の中に含まれていることを2000年の初めにつかんでいたと発言している。ブルックリンのアル・ファルーク・モスクには難民センターがあり、1980年代にはソ連軍と戦う戦闘員をリクルートする拠点になっていたと言われている。

 「ブルックリン細胞」を見つけた直後、「エイブル・デンジャー」の仕事をしていた人物のオフィスが家宅捜索され、軍の内部でこのプログラムに関するデータの破壊が始まったが、その命令は陸軍情報保全コマンドの法律顧問だったトニー・ジェントリーが独断で出していたという。

 「エイブル・デンジャー」は2008年8月に再開するが、翌年の初めに中止させられ、プログラムに関係した資料は2001年3月から翌年の春にかけて廃棄、その総量は2兆5000億バイトにのぼるという。(Kevin Fenton, “Disconnectiong the Dots”, TrineDay, 2011)

 なお、下院の軍事委員会、国土安全保障委員会、上院の情報委員会などはこうした主張を裏付ける証拠はないとしているが、このほかにも「9/11」に関係した不可解な話は多い。そうした疑惑が膨らみ、「28ページ」の公開が要求されてきたのだ。

 1983年から2005年まで、つまり「9/11」を含む期間、サウジアラビアの駐米大使を務めていた人物がバンダル・ビン・スルタン。2005年から国家安全保障会議事務局長、12年から14年にかけては総合情報庁長官を務め、アル・カイダ系武装集団を指揮していたと言われ、「バンダル・ブッシュ」と呼ばれるほどブッシュ家と近い関係にある。

 ジョージ・H・W・ブッシュが幹部に参加していたファンドのカーライル・グループにはジェームズ・ベイカー元国務長官、フランク・カールッチ元国防長官、リチャード・ダーマン元行政管理予算局長官、ジョン・スヌヌ元首席補佐官、ジョン・メジャー元英国首相なども幹部として名を連ねていたが、「アル・カイダ」の看板になっていたオサマ・ビン・ラディンの一族もカーライル・グループへ資金を出している。

 オサマ・ビン・ラディンは「9/11」の前に重度の腎臓病を患い、2001年7月には腎臓病を治療するため、アラブ首長国連邦ドバイの病院に入院していたとル・フィガロ紙は報道している。その入院患者を見舞うために家族のほか、サウジアラビアやアラブ首長国連邦の著名人が訪れているのだが、それだけでなく、CIAのエージェントも目撃された。しかも、エジプトで出されているアル・ワフド紙の2001年12月26日付け紙面にはオサマ・ビン・ラディンの死亡記事が掲載されている。その10日前、肺の病気が原因で死亡し、トラ・ボラで埋葬されたというのだ。

 しかし、アメリカ政府によるとビン・ラディンはその後も生き続け、2011年5月にパキスタンで特殊部隊のSEALチーム6が殺害したことになっている。が、襲撃された家にオサマ・ビン・ラディンは住んでいなかったと住民は主張している。

 サウジアラビアのほか、「9/11」に関係して注目されている国がイスラエル。ワシントン・ポスト紙によると、「9/11」の後に60名以上のイスラエル人が逮捕され、テレグラフ紙によるとその前後に200名、つまり「9/11」の前にも140名が逮捕されていた

 また、世界貿易センターの倒壊する様子を白いバンの上で、喜びながら撮影していたイスラエル人5名も逮捕されている。あまりに異様な光景だったために住民が通報、逮捕されたのだが、5名のうち少なくとも2名はイスラエルの情報機関モサドの工作員だった。バンの中で発見された地図から、この5名が事前に何が起こるかを知っていたと警察では見ている。

 このバンを所有していたアーバン・ムービング・システムはモサドの会社。この5人は71日間収監されたが、ブッシュ・ジュニア政権が介入して釈放され、イスラエルへ帰国している。

 アッタたちは旅客機をハイジャックし、アクロバチックな飛行をしたとされているのだが、納得していない人は少なくない。アッタたちはアメリカ軍やCIAと関係があった可能性が高く、「9/11」の黒幕が「犯人役」として巻き込んだという見方がある。ここにきて瓦礫の中からトリチウム(三重水素)が発見されたという話が流れているが、これが事実なら航空機の突入ではなく何らかの核兵器が使用されたのかもしれない。

 「9/11」を利用してネオコンはアフガニスタンに続き、予定通りにイラクやリビアを破壊、シリアを攻撃、イランを狙っている。調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが2007年3月5日付けニューヨーカー誌に書いたレポートよると、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアはシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始している。現在、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILなどとも表記)をサウジアラビアと共同で支援しているトルコはサウジアラビアの影響下にある。ちなみに、クラーク元NATO軍最高司令官はCNNの番組で、アメリカの友好国と同盟国がダーイッシュを作り上げたとも語っている。

 ネオコン、イスラエル、サウジアラビアが暴走した結果、封印されていた「9/11」という機密箱のふたが開く可能性が出てきた。そこから何が飛び出してくるかはわからない。





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最終更新日  2016.04.17 19:22:56



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