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《櫻井ジャーナル》

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2016.06.29
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 グローバリズムとは世界支配を目指す巨大資本の旗印であり、別名ファシズム。イタリアに君臨したベニト・ムッソリーニは1933年11月に「資本主義と企業国家」という文章を書き、その中で巨大資本が支配するシステムを「企業主義」と呼んだ。これは資本主義や社会主義を上回るものだと主張、それが彼が言うところのファシズムだ。全体主義だとも表現されている。

 1938年4月29日にフランクリン・ルーズベルトはファシズムについて次のように定義した。「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」

 巨大資本が国を支配する世界を築き上げようとしているという点で現在は1930年代と酷似している。そうした支配システムの震源地はアメリカのウォール街であり、ハーバート・フーバー大統領はそこを拠点とする巨大資本の代理人だった。

 フーバーはスタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働き、利益のためなら安全を軽視するタイプだったところを見込まれて「出世」していく。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)

 このフーバーが1932年の大統領選挙でニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに破れたことで、ウォール街の本性は明確になる。スメドリー・バトラー海兵隊少将の議会証言によると、JPモルガンを中心とする巨大資本は1933年から34年にかけて反ニューディール派/ルーズベルト大統領のクーデターを計画した。何度も書いているように、関東大震災以降、JPモルガンは日本に大きな影響力を持った。その代理人が駐日アメリカ大使だったジョセフ・グルー。ジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの義理のいとこであり、1942年まで日本にいた。離日の直前、岸信介からゴルフに誘われている。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)

 バトラー少将から話を聞いて取材したジャーナリストのポール・フレンチによると、政権転覆を狙っていた勢力は「コミュニズムから国を守るため、ファシスト政府が必要だ」と語っていたと議会で証言している。

 クーデター派はドイツのナチスやイタリアのファシスト党、フランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」に親近感を持ち、彼らの戦術を参考にしていた。つまり、新聞を利用して大統領を攻撃したうえで50万名規模の組織を編成して恫喝、大統領をすげ替えることになっていたという。

 この計画を知ったバトラー少将はクーデター派に対してカウンタークーデターを宣言、内戦を覚悟するように伝えた。そうしたこともあってクーデターは中止されるが、その計画を問題にするとやはり内戦になる可能性が高く、大統領は追及できなかった。

 第2次世界大戦の終盤、ドイツや日本が各国で奪った金塊や財宝を回収する作戦をアメリカ政府は開始するが、それと並行して、ナチス時代のドイツと違法な取り引きをしていたアメリカの有力企業やナチスに同調していた有力者を調査しようとしたとも言われている。ウォール街の大物たちが責任を問われる可能性があったのだが、1945年4月にルーズベルトが執務室で急死したため、そうした事態にはならなかった。(Simon Dunstan & Gerrard Williams, “Grey Wolf,” Sterling, 2011)

 アメリカで政治的な騒乱が起こった原因は巨大資本によるファシズム化の目論見が崩れたことにあり、ヨーロッパでは庶民の怒りを抑え込むために巨大資本がファシストを支援したことにある。ナチスに支配されたドイツが

1941年4月までにヨーロッパ大陸を制圧、5月10日にナチスの副総統だったルドルフ・ヘスがスコットランドへ単独飛行したイギリス側と何らかの話し合いをしたと見られているが、その翌月の22日にドイツ軍はソ連侵略、つまりバルバロッサ作戦を開始した。このタイミングからヘスがイギリスへ向かったのはソ連を攻めるにあたり、西からの攻撃を避けるために話し合うことが目的だったとも推測されている。

 1942年8月にドイツ軍はスターリングラード(現在のボルゴグラード)市内へ突入するが、11月からソ連軍が反撃に転じ、ドイツ軍25万人は包囲されてしまう。生き残ったドイツ軍9万1000名は1943年1月31日に降伏、2月2日に戦闘は終結し、ドイツの敗北は決定的になった。

 その後、ソ連軍は西に向かって進撃を開始、慌てたアメリカ軍はシチリア島へ上陸、43年9月にイタリアは無条件降伏した。そして1944年6月にアメリカ軍はノルマンディーへ上陸する。この「オーバーロード作戦」が練られたのは1943年5月、ドイツ軍がスターリングラードの戦いで敗北した後のことだ。この時点でドイツ側はアレン・ダレスなどウォール街の代理人たちと接触を始めている。

 安倍晋三首相は「ナショナリスト的な発言」をしているが、行動はグローバリスト、つまりファシストにほかならない。





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最終更新日  2016.06.29 19:25:07



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