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イエメンのアリ・アブドゥラ・サレーハが前大統領が11月4日、首都サヌアの南でフーシ派(アンサール・アラー)の戦闘員に殺されたと伝えられている。生存説もあるが、拘束されたことは確かなようだ。サレーハは殺される直前にフーシ派との決別を表明、それに対してフーシ派は裏切りだと怒りをあらわにしていた。ちなみに、フーシ派と呼ばれている人びとはシーア派の分派であるザイド派に属し、イランのシーア教徒と同じではない。
サレーハはマアリブを経由してアラブ首長国連邦へ逃れる計画だったというが、その首都アブ・ダビにある原子力発電所に向けてミサイルを3日に発射したとフーシ派は主張している。 今回の出来事で不思議がられていることがある。サレーハに近いと見られている戦闘集団が助けに来なかったのだ。準備せずにフーシ派との決別、つまりサウジアラビアとの同盟をサレーハは宣言しなければならない事情があったのか、あるいはサレーハが見捨てられたのもしれない。サウジアラビアから見ると敵が分裂したわけで歓迎すべきことなのだろうが、フーシ派は戦乱がサウジアラビアやペルシャ湾岸へ広がる可能性を示している。戦乱がイランまで拡大することになると、それはイスラエルやサウジアラビアの思惑に合致するのかもしれないが、それは中東全域が瓦礫と死体の山になることを意味する。世界大戦になる可能性も高い。 ところで、サレーハが大統領だった2004年に政府軍とフーシ派は軍事衝突した。その前年にアメリカ主導軍がイラクを先制攻撃、それに抗議する目的でフーシ派のメンバーがモスクで反アメリカ、反イスラエルを唱和するようになる。政府は弾圧に乗り出し、サヌアで800名程度が逮捕されたという。これが切っ掛けで戦闘が始まり、2010年まで続く。 その途中、2009年にサウジアラビアはフーシ派を叩くため、イエメンへ空軍と特殊部隊を派遣した。その年にはイエメンで「アラビア半島のアル・カイダ(AQAP)」が創設されてフーシ派と戦い始めたが、AQAPは劣勢。そこでサウジアラビアが軍事介入したと見られている。AQAPをサウジアラビア軍はターゲットにしていない。 ロビン・クック元英外相が指摘しているように、アル・カイダとはCIAから軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル、つまり傭兵の登録リスト。雇い主はサウジアラビアをはじめとするペルシャ湾岸の産油国だ。アル・カイダはアラビア語でベースを意味し、データベースの訳語としても使われている。 欧米が「アラブの春」を叫んでいた2011年にアメリカ、イスラエル、サウジアラビアを中心とする勢力がアル・カイダ系武装集団を使ってリビアやシリアへの侵略を始めるが、その年にイエメンでは「革命」があり、サレーハ大統領が辞任した。2012年2月に副大統領のアブド・ラッボ・マンスール・アル・ハディが新大統領の座に納まるが、イエメンに権力の基盤がないハディはさっさとサウジアラビアへ逃走した。 その後、フーシ派が優勢になって首都も影響下に起き始める。そうした事態に危機感を感じたのであろうサウジアラビアは2015年3月に大規模な軍事介入を始める。戦闘機を100機、15万名の兵士、さらに海軍の部隊を派遣(国境を越えているかどうか不明)、フーシ派を指揮していた3名の幹部を殺害したという。攻撃にはアラブ首長国連邦、バーレーン、カタール、クウェートなどの国も参加し、アメリカも物資や情報の面で支援したようだ。アメリカのバラク・オバマ政権はこの軍事侵攻を支持した。 フーシ派の攻勢がアメリカやサウジアラビアを慌てさせた一因は、CIAのイエメンにおける活動内容が漏れたことにあるようだ。イエメンの情報機関とCIAは緊密な関係にあるのだが、治安機関のオフィスが制圧された際に機密文書の一部がフーシ派へ渡ったというのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.12.05 04:41:32
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