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《櫻井ジャーナル》

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2021.10.29
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 ​スーダンで今年10月25日にアブデル・ファッター・アル・ブルハーンを中心とする軍事クーデターが​あり、アブダラ・ハムドック首相が排除された。アル・ブルハーンはクーデターの前日、「アフリカの角」を担当しているアメリカ特使、ジェフリー・フェルトマンに計画を伝えていたと報道されている。

 2019年10月のクーデターでオマル・アル・バシールの軍事政権が崩壊した後に設置された暫定軍事評議会が首相に選んだ人物がハムドック。アル・ブルハーンは評議会の議長を経て、2019年8月から主権評議会の議長を務めたいた。

 アル・バシールが実権を握る前、1983年からスーダンでは内戦が続き、終結したのは2005年。2011年には南部が独立している。そうした戦乱の原因は石油にあった。その資源が欧米の巨大資本に狙われたのである。

 スーダンの油田は1974年にアメリカの巨大石油会社シェブロンに発見された。ところが1990年代の終盤にスーダンでは自国の石油企業が成長、アメリカの石油企業は利権を失い、中国やインドなど新たな国々が影響力を強めていく。自立の道を歩み始めた時期のスーダンを支配していたのがアル・バシールだ。

 そうした中、スーダンの南部ではSPLM(スーダン人民解放軍)が反政府活動を開始する。SPLMを率いていたジョン・ガラングはアメリカのジョージア州にあるアメリカ陸軍のフォート・ベニングで訓練を受けた人物。スーダンの内戦は1983年から2005年まで続き、11年に南部が独立している。フォート・ベニングにはラテン・アメリカ各国の軍人をアメリカの傭兵として訓練する施設、WHINSEC(かつてはSOAと呼ばれた)も存在している。

 スーダンの西部、ダルフールでも資源をめぐる戦闘が2003年から激化した。当初、欧米の国々は南スーダンの石油利権に集中、ダルフールの殺戮を無視していたが、ネオコンはダルフールへ積極的に介入する。その資源に目をつけた隣国チャドの政府が反スーダン政府のJEM(正義と平等運動)へ武器を供給したことも戦闘を激化させる一因だったが、チャドの背後にはイスラエルが存在していると生前、リビアのムアンマル・アル・カダフィは主張していた。

 ​2020年10月23日、ドナルド・トランプ大統領は自らが仲介してスーダンとイスラエルとの「国交正常化」を実現したと発表​した。エジプト、ヨルダン、アラブ首長国連邦、バーレーンに次いでイスラエルを通常の国と認めたアラブ国になったということだ。

 こうした合意に至ったのはトランプ政権の脅しが機能したということだろう。経済戦争を仕掛けているうえ、COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)を口実にした政策で経済活動が麻痺し、スーダンのような国々は厳しい状況に陥っている。

 イスラエルとの関係を「正常化」しなければ、スーダン国民を飢えさせるとアメリカ政府は脅したのだ。今回の合意の褒美としてイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は500万ドルの食糧支援を公表したと伝えられているが、スーダンの暫定政府が行った決定に対する反発は国民の間で強く、議会からは暫定政府への支持を止めるとする声も聞こえていた。アメリカにとっても役に立たない存在になったと言えるだろう。

 ところで、フェルトマンは1991年から93年にかけてローレンス・イーグルバーガー国務副長官の下で東/中央ヨーロッパを担当、ユーゴスラビア解体に関与したと言われている人物。ソ連消滅後、アメリカは従属度の低い国や潜在的なライバルを潰しにかかるが、手始めに行ったのがユーゴスラビアへの先制攻撃だった。2004年から08年にかけてレバノン駐在大使を務め、12年から18年にかけて国連事務次長を務めている。

 2005年2月にレバノンではラフィク・ハリリ元首相が殺害され、西側の有力メディアは暗殺の背後にシリアがいると宣伝した。この年の10月に国連国際独立委員会のデトレフ・メーリス調査官は「シリアやレバノンの情報機関が殺害計画を知らなかったとは想像できない」と主張し、「シリア犯行説」に基づく報告書を安保理に提出している。イスラエルやアメリカの情報機関が殺害計画を知らなかったとは想像できないと彼は考えなかったようだ。

 イラン、シリア、ヒズボラを露骨に敵視していたフェルトマンにとって好都合な内容だったが、メーリスの調査が杜撰だということが後に判明する。

 例えば、彼の重要証人だったフッサム・タヘル・フッサムはシリア関与に関する証言を取り消し、レバノン当局の人間に誘拐されて拷問を受け、そのうえでシリア関与の証言をすれば130万ドルを提供すると持ちかけられたと話している。メーリスは2006年1月に辞任した。

 メーリスはドイツ人だが、アメリカの情報機関と緊密な関係にあった。検察官としてアメリカやイスラエルの関与をもみ消すこともしていたと言われている。2000年代の前半にはWINEP(近東政策ワシントン研究所)の研究員になっているが、この研究所はイスラエルロビーのAIPACと関係が深い。

 この事件を扱うために「レバノン特別法廷(STL)」が2007年に設置され、イスラム教シーア派のヒズボラに所属するという4名が起訴されている。この事件を利用してアメリカはイランやシリアへの圧力を強めたが、STLは2020年8月18日、事件にヒズボラやシリアが関与した証拠はないという結論を出した。

 この法廷は国連の1757号決議に基づいて設置されたが、国連の下部機関というわけではない。年間85億円程度だという運営資金を出している主な国はアメリカ、サウジアラビア、フランス、イギリス、レバノンだ。それにもかかわらず、暗殺にヒズボラやシリアが関与した証拠はないと言わざるをえないほど西側の主張に説得力がなかったということだろう。

 また、爆破現場には深いクレーターがあったことから、メーリスの主張とは違い、自動車による自爆テロでなかったとも考えられている。ハリリの死体を見ると、金製の腕時計は溶けているのだが、シャツの襟は残り、体もあまり炭化していない。体がバラバラになっているわけでもない。金の時計を溶かすほど高温になったが、その際に無酸素状態を作り出したと見られている。

 また、ハリリが乗っていた装甲車両に同乗、負傷してフランスの軍事病院で治療を受けたバッセル・フレイハンから濃縮ウランが検出されている。濃縮ウランを使った何らかの兵器、例えば数十センチ程度の長さのミサイルが暗殺に使われた可能性があると推測する人もいる。

 ハリリ暗殺を利用してシリアやリビアを締め上げようというシナリオはメーリスが辞任した時点で破綻したと言えるだろうが、その直後、2006年7月から9月にかけてイスラエル軍はレバノンに軍事侵攻した。その直後、ウルスター大学のクリストファー・バスビー教授はレバノンで濃縮ウランを見つけたという。

 この戦争でイスラエルの地上軍はヒズボラに敗北、その際にイスラエルが誇るメルカバ4戦車も破壊された。その後、イスラエルは地上戦を避けるようになる。

 その当時、レバノンにおけるアメリカの武装工作を指揮していたのは国務省次官補だったデイビッド・ウェルチ。その背後にはネオコンのエリオット・エイブラムズがいたという。

 この頃、アメリカ政府は中東における侵略作戦を変更している。シーモア・ハーシュが​2007年3月5日付けのニューヨーカー誌​で書いた記事によると、ジョージ・W・ブッシュ政権はイスラエルやサウジアラビアと手を組み、シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を始めた。その中心には副大統領だったリチャード・チェイニー、国家安全保障問題担当次席補佐官だったエリオット・エイブラムズ、そしてザルメイ・ハリルザドやバンダル・ビン・スルタンがいたという。この工作をバラク・オバマ政権は引き継いだ。

 2014年にオバマ政権のネオコンはウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを実行したが、その工作でもフェルトマンは重要な役割を果たしたと見られている。このクーデターを現場で指揮していたビクトリア・ヌランド国務次官補とフェルトマンは連絡を取り合っていた。






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最終更新日  2021.10.29 08:55:42



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