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《櫻井ジャーナル》

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2023.06.30
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 アメリカのバラク・オバマ政権は2013年11月から14年2月にかけてウクライナでクーデターを実行した。その時に手先として使ったのはネオ・ナチ。その時のため、彼らはNATOの軍事訓練を受けている。そのクーデターを東部や南部の住民は拒否、南部のクリミアはロシアと一体化し、東部のドンバスでは内戦が始まった。

 クーデターの目的は、2010年の大統領選挙で当選したビクトル・ヤヌコビッチを排除すること。西側の私的権力はウクライナを植民地化、ドイツとロシアを分断し、NATO軍を入れてロシアへ軍事侵攻できる態勢を整えようとしていた。これは1991年12月のソ連が消滅した直後からネオコンが目論んできたことだ。

 2010年の大統領選挙でヤヌコビッチと争ったユリア・ティモシェンコは2005年1月から9月まで、そして07年12月から10年3月までウクライナの首相を務めた人物。その当時の大統領は西側が支援していたビクトル・ユシチェンコだ。ユシチェンコを大統領にするため、アメリカの支配層は「オレンジ革命」を実行、ヤヌコビッチを引き摺り下ろした。




 しかし、ユシチェンコ政権が実行した新自由主義的政策によって大多数の国民は貧困化、一部の腐敗勢力が巨万と富を築いてオリガルヒと呼ばれるようになる。ティモシェンコもそうしたオリガルヒのひとりだ。2008年に彼女はジョージ・ソロスからのアドバイスに基づく政策を実行すると発言している。

 ユシチェンコ時代に新自由主義の実態を知ったウクライナの有権者は2010年の選挙でヤヌコビッチを選んだのだが、投票行動は地域によって大きな違いがある。東部と南部は圧倒的にヤヌコビッチであり、西部はティモシェンコ。西側の私的権力や有力メディアが大統領に据えようとしたティモシェンコが負けたため、オバマ政権はクーデターを実行したわけだ。





 アメリカ/NATOやティモシェンコたちはクーデターでウクライナ全土を制圧するつもりだったのだろうが、ソ連時代から自分たちをロシア人だと考えていた東部や南部の住民は抵抗、全土制圧はできず、ティモシェンコは怒る。その怒りを彼女は電話で爆発させた。その電話による会話は2014年3月18日に行われたと言われている。

 その会話を録音、3月24日にインターネットで公開した人物がいる。会話の相手は国家安全保障国防評議会のネストル・シュフリチ元次官。その中で​ティモシェンコはウラジミル・プーチンだけでなく、ウクライナに住む800万人のロシア人を核兵器で殺すべきだと語っている​。ティモシェンコはツイッターで電話が本物であることを認めたが、編集されていると弁明している。

 クーデター後、ネオ・ナチのグループは街を威圧して歩き、暴力的に脅し回っている。そうした中には議会や検察事務所も含まれていた。そうした中、「選挙」が実施されるが、その直前の5月24日、​マデリーン・オルブライト元国務長官がティモシェンコと会談​している。それだけアメリカの支配層には好かれているティモシェンコだが、その悪事が広く知られていることもあり、西部地域でも嫌われていたようで、選挙では惨敗した。

 しかし、その後もウクライナにおけるネオ・ナチの影響力は弱まらないまま現在に至っている。国民の意思には関係なく、アメリカ/NATOを後ろ盾とするウクライナの権力者はティモシェンコと同じ精神構造をしているようだ。






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最終更新日  2023.06.30 02:56:59



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