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《櫻井ジャーナル》

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2024.03.14
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 ウクライナを舞台にした戦闘でアメリカ/NATOはロシアに敗北したことは決定的で、残された道は限られている。3月9日にはローマ教皇フランシスコもウクライナ政府に対し、敗北して物事がうまくいっていないと分かった時、交渉する勇気を持たなければならないと語った。

 教皇は国を「自殺」に導かない勇気を持てと言っているのだが、それをアメリカやイギリスの支配層は許さず、ここまで事態を悪化させたのである。米英支配層はウクライナ軍に「バンザイ突撃」を繰り返させ、ウクライナ人に「総玉砕」を要求してきた。

 その要求に従ってきたウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は勿論、NATOのイェンス・ストルテンベルグ事務総長も教皇の意見を拒否、軍事的支援を強化するべきだとしているのだが、それはウクライナ人に対して「玉砕」しろと言っているに等しい。最後までロシアを疲弊させることに徹しろということにほかならない。

 そもそも、ウクライナでの戦闘は1992年2月にネオコンがアメリカ国防総省のDPG(国防計画指針)草案という形で作成した世界制覇計画から始まったのだ。その時の大統領はジョージ・H・W・ブッシュ、国防長官はディック・チェイニー、国防次官はポール・ウォルフォウィッツ。このウォルフォウィッツが中心になってDPG草案は書き上げられたことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。

 そのドクトリンではドイツと日本をアメリカの戦争マシーンに組み込み、新たなライバルの出現を防ぐことが謳われている。旧ソ連圏だけでなく、西ヨーロッパ、東アジア、東南アジアにアメリカを敵視する勢力が現れることを許さないとしているのだ。

 ドクトリンが作成された直後からアメリカの有力メディアは旧ソ連圏諸国を悪魔化する作り話を宣伝、軍事攻撃を始めるように煽ったが、当初、ビル・クリントン政権は戦争に消極的。状況が変化するのは1997年に国務長官がウォーレン・クリストファーからマデリーン・オルブライトへ交代してからだ。オルブライトと親しいヒラリー・クリントンも夫にユーゴスラビアを攻撃するよう説得していたという。オルブライトやヒラリーと親しいビクトリア・ヌランドもビル・クリントン政権でユーゴスラビア破壊を煽っていた。

 オルブライトは1998年秋にユーゴスラビア空爆を支持すると表明したのに対し、ユーゴスラビアのスロボダン・ミロシェビッチ大統領は98年10月の終わりにコソボからの撤退計画を発表する。

 しかし、KLAは軍事的な緊張を高めてNATO軍を戦争へ引き入れるため、セルビアに対して挑発的な行動に出た。これはアメリカ側の意向を受けたものである。決して親セルビアとは言えないヘンリー・キッシンジャーでさえ、1998年10月から99年2月までの期間で、停戦違反の80%はKLAによるものだと語っている。(David N. Gibbs, “First Do No Harm”, Vanderbilt University Press, 2009)

 そして1999年3月から6月にかけてNATO軍はユーゴスラビアへの空爆を実施、4月にはスロボダン・ミロシェビッチの自宅が、また5月には中国大使館も爆撃されている。勿論、この攻撃で多くの市民が殺され、建造物が破壊された。侵略戦争以外の何ものでもない。

 そして2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、その衝撃的な出来事を利用してアメリカ政府は大規模な侵略戦争を始めた。

 ウクライナでは2004年から05年にかけて新自由主義の手先を大統領に据えるために「オレンジ革命」が実行された。この工作を指揮していたのはアメリカ政府で、現地の拠点はアメリカ大使館だ。

 新自由主義は富を外国の巨大資本やその手先に集中させ、国民を貧困化させるが、ウクライナでもそうしたことが起こった。そこでウクライナの有権者はビクトル・ヤヌコビッチを大統領に選ぶのだが、それをアメリカやイギリスの支配層は受け入れることができない。そこでバラク・オバマ政権は2014年2月にクーデターを成功させた。

 そのクーデターで実働部隊として利用されたネオ・ナチのメンバーは2004年からバルト3国にあるNATOの訓練施設で軍事訓練を受けていたと伝えられている。またポーランドの外務省は2013年9月にクーデター派の86人を大学の交換学生を装って招待、ワルシャワ郊外にある警察の訓練センターで4週間にわたり、暴動の訓練を受けたとも報道されていた。

 そうした訓練だけでなく、​オバマ政権はCIAやFBIの専門家数十名を顧問として送り込み​、​傭兵会社「アカデミ(旧社名はブラックウォーター)」の戦闘員約400名もウクライナ東部の作戦に参加させていた​。​2015年からはCIAがウクライナ軍の特殊部隊をアメリカの南部で訓練している​のだが、それでも戦力は反クーデター勢力に劣っていた。

 ヤヌコビッチの支持基盤であり、ロシア文化圏でもある東部や南部の住民はクーデター体制を拒否、クリミアはロシアの保護下に入り、ドンバス(ドネツクやルガンスク)では内戦が始まった。クーデター後、軍や治安機関メンバーの約7割が離脱、一部は反クーデター軍に合流したと言われている。ドンバスを制圧する戦力がないと判断した西側は「ミンスク合意」という形で停戦という形を作るのだが、キエフ政権は合意を守らなかった。

 それから8年かけてアメリカ/NATOはクーデター体制の戦力を増強するために武器を供給、兵士を訓練、さらにドンバスの周辺に要塞線を構築、アゾフ大隊が拠点にしたマリウポリ、岩塩の採掘場があるソレダル、その中間に位置するマリーインカ、そしてアブディフカには地下要塞が建設された。

 ウクライナの政治家オレグ・ツァロフは2022年2月19日に緊急アピール「大虐殺が準備されている」を出し、キエフ政権の軍や親衛隊はこの地域を制圧、自分たちに従わない住民を「浄化」しようとしていると警鐘を鳴らしている。その5日後にロシア軍はウクライナに対するミサイル攻撃を始めた。

 攻撃の際、ロシア軍はウクライナ側の文書を回収、それには親衛隊のニコライ・バラン上級大将が1月22日にドンバスへの攻撃命令書へ署名し、ドンバスを攻撃する準備が始まったとされている。2月中に準備を終え、3月に作戦を実行することになっていたという。ウクライナでの戦闘を「ロシアによるウクライナ侵攻」という表現は正しくない。戦争に反対している風を装いながらアメリカを支持しているにすぎない。

 ロシア軍が負ければ西側は好き勝手な物語を語ることができたのだろうが、ウクライナの要塞戦が突破され、ロシア軍の勝利は決定的になった。

 フランスの雑誌「マリアンヌ」によると、フランス国防省の分析でもウクライナ軍の敗北は決定的。西側で宣伝されていた「反転攻勢」は泥と血にまみれて泥沼化、いかなる戦略的利益も得られなかったとしている。将兵の訓練が不十分で、3週間も訓練を受けていない状態でロシアの防衛ラインに対する攻撃に駆り出され、死傷者の山を築いた。

 それに対し、ロシア軍は部隊が完全に消耗する前に補強し、新兵と経験豊富な部隊を融合させ、後方での定期的な休息期間を確保し、不測の事態に対処するために常に予備部隊を用意していると指摘している。現実は西側の有力メディアや「専門家」の主張とは全く違うのだ。フランス国防省もウクライナ軍の勝利は不可能と思われるとしている。

 その報告を見てマクロンはパニックになり、ゼレンスキーを支援するために軍隊を派遣するかもしれないと発言したのかもしれないが、それで戦況が変わるとは思えない。

 ​スコット・リッター元国連兵器査察官もアメリカ国防総省の幻想は崩壊しつつあると語っている​。ウクライナでの惨状を作り出したのはウクライナ政府に戦闘を強要したアメリカ政府であり、ウクライナ政府がアメリカの戦術的アドバイスを聞かなかったからではない。「国防総省はウクライナの巨大なファンタジーが崩壊しつつあるため、政治的な隠れ蓑を作ろうとしているのは間違いない」とリッターは分析している。

 アメリカやイギリスの好戦派がNATOの大陸諸国を操り、ロシアと核戦争させて共倒れにしようとしているのかもしれない。マクロンは、ロシアがこの戦争に勝つのを阻止するためならフランスはあらゆることをすると述べた。正気ならこうした主張に同調しないだろう。






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最終更新日  2024.03.14 01:05:57



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