従軍医とコイユールは無意識のうちに互いを見交わし、意を決するように頷いた。
そして、さらに歩みを進め、アレッチェの居室に近づいていく。
すると、二人の到来に気付いた扉前の衛兵が、両腕でバッテンの動作をしながら、大きく首を振っている。
そんな衛兵の様子を訝(いぶか)しく思いつつ、従軍医たちが速度を緩めながらも進んでいくと、困り顔の衛兵が慌ただしい足取りでこちらに向かってきた。
「アレッチェの往診でしたら、今は無理です。
ご足労頂いて申し訳ないのだが、また出直してきてはくれまいか」
「今は無理とは?
アレッチェ殿に何か異変ですか?」
足を止めて、従軍医が重々しい口調で問う。
そんな二人のやりとりを見守るコイユールの心臓は、早鐘のように鳴り打ちはじめる。
(アレッチェの容態が予想以上に深刻で、もしや治療が間に合わなかったのでは…)
勝手な妄想が彼女の脳内を駆け巡り、胸の奥底がサーッと冷たくなる感覚に襲われる。
インカ全体の仇(かたき)とも言い得るアレッチェなどこのまま助からぬ方がいいのでは、という思いも正直あるはずなのに、それとは裏腹に、なぜ自分はこのように動揺するのだろう。
めまぐるしく転変する己の心にコイユールが翻弄されている間にも、従軍医は衛兵を押し退けて扉に向かって突き進んでいく。
そのような従軍医を、衛兵が急いで押し止(とど)めた。
「お待ちを!
今、中に入るのは危険です。
アレッチェが意識を取り戻したのだが、精神錯乱して、ひどく暴れているのです。
とても治療など受けられるような状態では――」
「ならば、余計、放っとくわけにはいかんではないか」
厳格な面持ちで言葉を返すと、高齢の体のどこにそのような力があるのか、自分の肩を押さえていた衛兵の剛腕を振り切って、従軍医は重い扉を押し開けた。
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≪トゥパク・アマル≫(インカ軍)
反乱の中心に立つ、インカ軍(反乱軍)の総指揮官。
インカ皇帝末裔であり、植民地下にありながらも、民からは「インカ(皇帝)」と称され、敬愛される。
インカ帝国征服直後に、スペイン王により処刑されたインカ皇帝フェリペ・トゥパク・アマル(トゥパク・アマル1世)から数えて6代目にあたる、インカ皇帝の直系の子孫。
「トゥパク・アマル」とは、インカのケチュア語で「(高貴なる)炎の竜」の意味。
清廉高潔な人物。漆黒長髪の精悍な美男子(史実どおり)。
≪コイユール≫(インカ軍)
インカ族の貧しくも清らかな農民の少女。義勇兵として参戦。
代々一族に伝わる神秘的な自然療法を行い、その療法をきっかけにアンドレスと知り合う。
アンドレスとは幼馴染みのような間柄だったが、やがて身分や立場を超えて愛し合うようになる。
『コイユール』とは、インカのケチュア語で『星』の意味。
≪従軍医≫(インカ軍)
トゥパク・アマル軍に属する従軍医の一人。
高齢だが経験豊富で腕が良く、かつてトゥパク・アマルが戦場で重症を負った際も回復させた。
≪ホセ・アントニオ・アレッチェ≫(スペイン軍)
植民地ペルーの行政を監督するためにスペインから派遣されたエリート高官(全権植民地巡察官)で、植民地支配における多大な権力を有する。
ペルー副王領の反乱軍討伐隊(スペイン王党軍)総指揮官として、反乱鎮圧の総責任者をつとめる。
有能だが、プライドが高く、偏見の強い冷酷無比な人物。
名実共に、トゥパク・アマルの宿敵である。
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