残りのメンバーも、いつしか意識を集中してアンドレスの提案に耳を傾けていたが、しばしの沈黙の後、ジェロニモが口火を切った。
「そうですねぇ、アンドレス様の言うように、今のうちにしっかり体力を蓄えておくっていうのは、俺も大賛成です。
それに、さっきも言いましたケド、せっかく宿屋にありつけるって時に、わざわざ野宿するなんてゴメンです。
だけど、もう一方の本音を言えば、集落に出向いて行って、アンドレス様の姿が大勢の人に見られるってのも、やっぱり心配ではあります。
まあ、確かに、人里に近づかなきゃ安全ってワケでもないですケドね。
敵兵集団、野盗軍団、野獣の群れ、なんにしろ、今だって、その辺の草ムラから何が飛び出してきたっておかしくないですし!」
そう言って、おどけた調子で大袈裟(おおげさ)に肩をすくめてみせたジェロニモだが、その眼差しには、鋭い思慮深さが宿っている。
「アンドレス様、わたしもジェロニモと同じ思いであります。
なんといっても、アンドレス様にはトゥパク・アマル様と同様、莫大な懸賞金を懸けられております。
国中のスペイン人どもが、生け捕りにして大金を手に入れようと手ぐすね引いていることを思いますと、いかに変装していようとも、人前に出るのはかなり危険なのではないでしょうか。
ったく、懸賞金などと、全く、スペイン人のやり口は、なんと汚いことか……!」
ペドロの怒りに満ちた太い声が響き、と同時に、彼の刺々しい眼光がヨハンに突き刺さる。
対するヨハンは、その堀深い端正な横顔を夕風にさらしながら、そっぽを向いている。
そして、飄々とした口調で、無感情に言い放った。
「フン、おまえたちの話しを聞いてると、まるで俺たちスペイン人が悪鬼かなにかのようじゃねぇか。
俺に言わせれば、トゥパク・アマルも、アンドレスも、とんでもない重罪を犯したんだから、指名手配されるのは当たり前だ。
トゥパク・アマルなぞ、脱獄までして、罪の上塗りをしてやがるんだ。
懸賞金を倍額にしたっていいくらいだぜ」
「グッ…このッ……!!」
これまで以上に空気が張り詰め、ペドロとヨハンは、いよいよ一触即発の様相を呈している。
そんな二人の間に身を置きながら、アンドレスもまた、トゥパク・アマルに対するヨハンの物言いに、さすがに喉の奥から反論が飛び出しそうになっていた。
それを辛うじて呑みくだし、密かに呼吸を整える。
(ヨハン、君はストレートな上、いかにも俺たちの神経を逆なでするような言い方ばかりする……!)
そう心の奥で呟きながら、チラッと、当人の方に視線を馳せる。
すると、ヨハンもまた、凛々しく整った目元を吊り上げ、深い藍色の瞳で真っ直ぐこちらを見据えていた。
「で、アンドレス、今夜の寝床はどうすんだ?
さっさと決めねぇと、完全に日が暮れちまうぜ。
おまえが決められないなら、俺が決めてやってもいいが」
(っ……しかも、俺、完全に舐(な)められてるし)
ぐっと息を呑み、アンドレスは心の中で苦笑した。
それから、気を取り直したように、素直な気持ちを口にする。
「最善策さえ取れれば、誰が決めたって構わない。
皆の安全が守られることが、とにかく一番大事だから」
再び落ち着いた調子で語り出したアンドレスに、ピリピリしだ場の空気が少しだけ和らいでいく。
「ジェロニモやペドロの言うように人目に触れる場所は危険があるし、ヨハンの言う通り『お尋ね者』の俺はもとより、そんな俺と同行している君たち三人にも、俺と同じように危険が及びかねない。
だから、そういう場所に行くときは、かなり慎重にならなきゃいけないと俺も思う。
まぁ、だけど、それも場所によって違いはある。
特に、スペイン人の勢力の強い集落は言うまでもなく危険が凄く大きいし、そもそも、そうした場所に近づく気は無い。
逆に、インカ側の勢力が強い場所なら、安全性も高い。
今となっては、国中の町も村も、インカ軍とスペイン軍の勢力争いに巻き込まれてしまっているが、その勢力は今のところ五分と五分。
だから、中にはインカ側の勢力下にある集落もある。
そういう集落にはインカ兵が派遣されて敵襲に備えているし、集落の人たちも自警団を作って、インカ兵と力を合わせて守りを固めてる。
だから、そういう村や町を選んで行けば、危険性をある程度は下げられると思うんだ」
「ナルホド」と、ジェロニモが明るい笑顔で頷いて言った。
「そうなると、野宿か宿屋かって問題じゃなくって、どこの集落の宿屋かってことが問題ってワケですネ」
「うん。
この看板に、この近辺の集落の名前とか書かれていたら、もっと参考になったんだがなぁ。
俺たちの持ってる地図は、意外と大ざっぱだからさ……」
ジェロニモの言葉にアンドレスがブツブツと応じつつ、再び二枚の古看板を覗き見る。
「やっぱ、村や町の名前は書いてないよなぁ……ん?
あれっ、なんだこれ?」
看板の裏側まで覗き込んだアンドレスが、今までとは違った調子の声を上げた。
「おいおい、なにトボけた声、出してんだよ」
「アンドレス様、もしかして、裏側に村の名前か何か書いてありましたか?」
ヨハンとペドロが同時に反応し、ジェロニモも興味津々でそちらに身を乗り出した。
そんな面々の前に看板の裏から戻ってきたアンドレスが、「いや、裏にも何も書いてはなかったんだけど…」と言いながら、一枚の古びた紙と錆(さ)びたナイフを差し出した。
「この紙が、看板の裏に、このナイフで突き刺してあった」
その紙は便箋サイズほどの大きさで4つ折りにされているのだが、かなり風雨に晒されていたらしく、すっかりボロボロで色も黄ばんでしまっている。
「これは…、ずいぶん昔っから、そこに突き刺さったまま、放置されていたって感じですね」
紙に同情しているかのように神妙に言うペドロに、アンドレスも不思議そうに頷いた。
「ああ。
一体、誰宛に、誰が、何のために?
それとも、特定の人宛てじゃなくて、通りがかりの旅人たちに見せる目的だろうか?」
雨水で吸着し合った紙面を破らないように苦労しながらペリペリと広げると、水に溶けにくい染料を用いて書かれているらしく、文字は滲(にじ)んでいながらも判読は可能であった。
情け容赦無く夜の帳(とばり)が下りてくる薄闇の中で、4人は頭を突き合わせ、アンドレスの手にある紙面に綴られたスペイン語の文言に目を走らせていく。
果たして、そこには――誰宛てとも記載されておらず、記入者の署名などもされてはおらず、ただ下記の本文が、流れるように、それでいて、力強い筆致で綴られていた。
「この国の『キリスト教徒』を名乗る権力者たちは、主イエス・キリストではなく、黄金や財宝を神と崇めてきた。
それ故、当地の民を、それらの世俗的な富を手に入れる手段や道具として、平然と利用してきたのである。
いにしえの時代から当地に住まう民たちよ、混血児たちよ、そして、当地に生まれし白人たちよ、権力者たちは飽くなき貪欲と盲目的な野望に憑りつかれ、そなたたちから全てを強奪し、骨の髄まで搾り取り、挙句はその命さえ当然のように奪い去ってきた。
荷重な労働と信じがたき圧制により民は苦しめられ、肉親や友を奪い去られ、貧困と絶望の中で死に至るまで酷使され、あまりの過酷さに自ら命を絶たった者さえ無数にいた。
当地で行われてきた危害と損害と非道の行為、殺害と強奪、悪虐無道の侮蔑行為、そのようなことが、イエス・キリストの御心にかなおうはずはない。
全ては、主の御意思に悉く反し、福音書の中で主が我々に求められた愛の形に著しく反している。
『キリスト教』の名を笠に着て悪辣非道を行いし全ての者たちよ、覚悟するがよい。
おまえたちが甚だしい迫害と危害を与えてきた者たちは、最後の審判の日に至るまで、おまえたちに正当なる戦いを挑む権利を有している。
おまえたちは、奪ったものを全て返却し、賠償し、犯した大罪の償いを履行しなければ、決して救霊を得ることはできぬであろう。
虐げられし者たちよ、恐れず今こそ立ち上がり、解放の奔流の中に身を投じよ。
なぜなら、そなたたちが支配と拘束から解放されることこそ、神が強く願い給うことだからである。
いつ何時も、真の神は、最も苦しみの中にある者の最も傍にいる」
【登場人物のご紹介】 ☆その他の登場人物はこちらです☆
≪トゥパク・アマル≫(インカ軍)
反乱の中心に立つ、インカ軍(反乱軍)の総指揮官。
インカ皇帝末裔であり、植民地下にありながらも、民からは「インカ(皇帝)」と称され、敬愛される。
インカ帝国征服直後に、スペイン王により処刑されたインカ皇帝フェリペ・トゥパク・アマル(トゥパク・アマル1世)から数えて6代目にあたる、インカ皇帝の直系の子孫。
「トゥパク・アマル」とは、インカのケチュア語で「(高貴なる)炎の竜」の意味。
清廉高潔な人物。漆黒長髪の精悍な美男子(史実どおり)。
≪アンドレス≫(インカ軍)
トゥパク・アマルの甥で、インカ皇族の青年。
剣術の達人であり、若くしてインカ軍を統率する立場にある。
スペイン人神父の父とインカ皇族の母との間に生まれた。混血の美青年(史実どおり)。
英国艦隊及びスペイン軍との決戦において、沿岸に布陣するトゥパク・アマルのインカ軍主力部隊にて副指揮官を務めていたが、急遽、トゥパク・アマルの密命を帯びて旅立つことになった。
≪ビルカパサ≫(インカ軍)
インカ族の貴族であり、トゥパク・アマル腹心の家臣。
トゥパク・アマルの最も傍近い護衛官として常にトゥパク・アマルと共にあり、幾度と無く命を張って主を守ってきた。
アンドレスの朋友ロレンソの恋人マルセラの叔父でもある。
≪ジェロニモ≫(インカ軍)
義勇兵としてインカ軍に参戦する黒人青年。20代半ば。
スペイン人のもとから脱走してインカ軍に加わった。
スペイン砦戦では多くの黒人兵を統率し、アンドレスの無謀な砦潜入作戦の完遂を補佐。
身体能力が高く、明朗な性格で、ムードメーカー的存在。
これまでも陰になり日向になり、公私に渡って、アンドレスを支えてきた。
≪ペドロ≫(インカ軍)
インカ軍のビルカパサ隊に属する歩兵。
此度のアンドレスの旅の同行者の一人。
20代後半の若さながらも郷里には妻がおり、息子思いの父でもある。
≪ヨハン≫(スペイン軍)
スペイン軍の歩兵。20代半ば。
偶然的な事情から、此度のアンドレスの旅に同行することになった。
スペイン人らしい端正な風貌な持ち主で戦闘力もありそうだが、性格は傍若無人なところがあり、掴みどころが無い。
◆◇◆はじめて、または、久々の読者様へ◆◇◆
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