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最近更新が滞ってます。
なんだかやる気のない日々も続いてるし。 結局何が辛かったって悪夢と言うか夢を見るのだ。 その夢がまた面白い事に年代をどんどんUpdateして行き一昨日は東京のOL時代になったりした。 子供の頃の夢よりは辛くないけどやっぱりなんか変。 セラピー的に言えば、なんだかC猫の脳みそが必死でトラウマだとか悲しい事を消化しようとしてるんだと思うけど。 頭のてっぺんの部分がどうも痛いというかなんだか酷使している感じがある。 NYCはここ2,3日本当に寒いのでなんだか体調も崩しそう。 家の中に居てセーター着るって中々ない寒さだよな~。 セラピストにも言われて一体今自分は何がやりたいのか考えるようになった。 やりたくない事はすぐに分るんだけど。 このフレーズ良く聞くよ、日本人の女性から。 何をすれば自分のためになるのか、という事は結構分ってる人が多いんだよね。C猫もそう。 まず、セラピーが主体じゃなくてもカウンセリング系のCase Managementの仕事を探すでしょ。そしてそこで3年頑張ればLCSWのNY州のライセンスがもらえる。 そして、個人開業またはパートタイムのセラピストになる。 これがまあ筋書きでしょ。 でもこの事を考えるとまったくExecitementがない。 全く心躍るような興奮は愚か、ため息が出るのである。 これはやっぱりやりたくないんだよ、ね。 やりたくないという事を言い訳として認めない生き方をして来たC猫にとってやりたくないからやらない、と言うのは結構勇気が居る。 ただの極道もののような気もするし、子供の頃からそうは育てられていないのだ。 日本人なら誰でもそうであるだろう。 学校でもどこでもやりたくない、は通らないのである。 しかし、アメリカではやりたくない、が結構通るようである。 勿論、宿題をやらなければ罰がある事は同じだが、少なくてもMSWの時は基本的に全員参加の催しがあってもこれが結構来ていない人が多いのだ。 個人個人が違う、という事が基本のアメリカ。宗教だって見かけだって違う。 宗教上食べられないものがある人たちもいる。その人たちに強制は出来ないわけであってね。 とにかくアメリカ人はやりたい、やりたくない、をきちんと主張する。 ドタキャンするしさ。 好きな事、嫌いな事、をきちんと分る人達なのである。 その点、日本人は嫌いなものは分っても好きなものが良く分らなかったりするのだ。 前にも書いたけど、NOと言うし、Noと言えば意味はいつもNoであるのだ。 嫌よ嫌よも良いのうちというものない。 つまり感情を素直に口に出して表現する事が出来る人達なのである。 C猫もやった方が良い事にNoという権利と選択を与えた。やっと今になって。 だから、今就職しない。 でもこれが結構辛い。 極道ものではなく自分の選択だと思っていても辛い。罪悪感である。 しかし、ここでなし崩しになると結局自分を必要以上にPushし続ける事になる。 その果てに何があるのかははっきりは分からないが、良い事でない事は直感的にわかる。 踏ん張りも飽和状態なのだから。 やりたくない事はやらないというのは気分の良い時は爽快なものである。 罪悪感に襲われるまではこれほど爽快な事もない。 やらなくて良いんだ~と思うと自然と何かやりたい事が出てきたりする。 それがガーデニングだったり、フランス語だったり、編み物だったりする。 時には職探しだったり。 これはやっぱり自分探しかなあ、と思う。 C猫の自分探しは続く。 March 21, 2006 12:06pm (EST) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 22, 2006 02:07:49 AM
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