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テーマ:癒される生き方、考え方(429)
カテゴリ:学んだフレーズ
朝日新聞12月5日夕刊に、京都の住職、梶妙壽さんの記事が掲載されていた。前にBSTVで、彼女の語りを観た記憶があり、一人の女性として、生き方を学ぶ。
現在70歳の梶妙壽住職は、かつて舞踏家で裕福な社長夫人だったが、別の男性と恋におち、自分を見つめようと21年前に出家した、と記事に書いている。以下記事から抜粋する。 ●社長婦人で舞踏家という立場をなぜ捨てたのか-―。 20歳で結婚し、子どもたちも生まれて舞踏家としても充実した日々だったが、だんな様の女性問題にずっと悩まされてきた。自分が40歳頃に妻子ある人と恋愛をし、恋に生きるパワーをもらったけれど、夫は家庭を向かず、家族は崩壊していた。2つの家庭を壊して幸せになれるかと悩み、恋人と生きていくことも考えたが、子どものことを思うとそれも出来ず、夫とも恋人とも別れ、43歳の時に離婚をして、出家を考えた。 ●何もかも捨てることは怖くなかったか――。 不安はあったが、決心はゆるがなかった。中途半端に木にしがみつくより両手を離して大地に倒れこんでしまうほうがいい。それが物質的な豊かさや男女の愛への執着を断ち切ること、新しい自分になるチャンスだと受け止めた。 ●新しい道としてなぜ仏門を選んだのか。 知人にお坊さんがいたこと、山岳信仰に興味をもったこと。和歌山の熊野に行き、臨済宗の僧侶だった山本玄峰老師の石碑に出会い、目が不自由ながらも修行を重ね、人々の悩みに耳を傾けられた老師の生き方に打たれ、臨済宗で出家しようと決めた。子どもが社会人になる49歳の時に、得度して出家した。 ●尼増になって何をしているのか。 刑務所で篤志面接委員の奉仕活動をしている。月1回、受刑者の方たちに法話をする。「身体は大丈夫ですか」と笑顔で語りかけ、今を生き、自分自身を見つめることの大切さについて話している。 ●2年前にTV番組に出て、相談が殺到したそうですが、どんな相談ですか。 夫婦関係の亀裂や子どもの家庭内暴力、毎日がむなしいなど様々な悩みがたくさん寄せられ、多くの方々はその現実を変えたいと願い、しかし、相手が思い通りにならないことに悩んでいた。話を聴く中で、他者への執着を離れて「一人の時間」をしっかりもつこと、その大事さを思うようになった。 個に親しむこと、一人の自分に親しむこと。相手に執着するのではなく心の自立を目指す。そこから人を思いやり、愛する気持ちが生まれると思う。 ●不倫の相談にはどのように答えているのですか。 恋は時に嫉妬や恨みなど人間の煩悩をむき出しにする。しかし愛は違う。愛は自分の欲望を満たすだけではなく、相手を考える慈悲の心だと伝えている。 ●かつでの男性たちとの縁をどう考えているのか。 経済的には豊かでも満たされない中、夫への感情と恋人への感情で自分は引き裂かれた。今では彼らがいたからこそ尼僧になれたのだと感謝している。煩悩から逃げるだけではなく、逆にどっぷり浸かり苦しむことで、私は解放された。二人は私の恩人だ。 ●人は満たされないときには、他人や環境へのネガティブな感情にとらわれがちですが――。 憎しみを無理に抑え込むようなことはしなくてよい。ただ憎しみや悲しみは知らないうちに自分自身の心を切り刻みますから、私ならば目をほかの方へ向けます。例えば庭の草木や動物たち。彼らは多くを求めません。誰かに見せるためでも将来の自分のためでもなく、無欲にただその日を生きること。私は自然から、そうした生き方の大事さを教わっています。 生きていると嫌なことや目をそむけたくなるようなことにぶつかる。 それに対して嫌だなあと思う気持ちには正直に受け止める。 しかし、それに対して嫌な気持ちを執着せず、問題解決をしなくてはいけないのなら、すぐに考え手を打とうとし、ただ嫌なだけなら、さらりと流して、きれいな映画や人ががんばっていることを観る。公園の木々でさえずる鳥の声に聴き入り、木々の芽や花々を眺める。そうしたことで自分のバランスを整えてきたことに感謝する。いろいろな事象や人に助けられて生かされていることに感謝する。 自分も子どもをもつ前に、出家を考えたことがあったことを思い出した。 感謝 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年12月06日 08時24分02秒
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