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テーマ:静岡の観光地(474)
カテゴリ:お出かけ情報
日本観光地百選コンクールで第1位に選ばれたこともある、日本屈指の景勝地・日本平。
度山(うどやま)附近一帯の通称であるこの地名は、神代の時代の日本武尊(やまとたけるのみこと)に由来します。 日本武尊は東征の途中この地で火難に遭うものの「草薙の剣」で危機を脱し、勝ちどきを上げたと日本書紀に記されています。 展望台からの眺望:駿河湾・焼津アルプス、静岡市駿河区の市街 展望台からの眺望:低山の山脈、静岡市駿河区の市街 展望台からの眺望:大無間山・竜爪山・真富士山・篠井山・貫ヶ岳、静岡市駿河区・静岡市清水区の市街 展望台からの眺望:貫ヶ岳、浜石岳・大丸山、奥 富士山、清水港・駿河湾 展望台からの眺望:愛鷹山山塊・箱根山山塊、富士市・沼津市、駿河湾 展望台からの眺望:十国峠山塊・伊豆半島、沼津市・三島市、駿河湾 「 世の中を 心たかくも いとふかな 富士のけぶりを 身の思ひにて 」慈円 野口雨情作詞の「赤い靴」の女の子母子像 静岡市HPより 赤い靴の女の子「岩崎きみ」ちゃんは、日本平の麓、静岡県不二見村(現在の静岡市清水区宮加三)で生まれました。 2歳の時に母かよと北海道函館に渡りましたが、厳しい生活にきみちゃんを伴うのは無理と判断したかよは、きみちゃんを米国人の牧師夫妻に預けました。 牧師夫妻はきみちゃんを連れて帰国する予定でしたが、不治の病にかかったきみちゃんは渡米できず、東京麻布の孤児院に預けられ9歳で死去したようです。 かよは生涯、きみちゃんの死を知らずに亡くなり、童謡「赤い靴」の詩はきみちゃんが渡米したと思っていたかよからの話をもとに、野口雨情が書いたものとなっています。 昭和60年6月頃、きみちゃんと母かよの母子をふるさと清水へ里帰りさせ、母子の永遠の安らぎを「母子像」に託そうという気運が盛り上がり、官民一体となって募金運動を全国に展開。 昭和61年3月31日に出生の地を見下ろすように日本平山頂の一角に「母子像」が建立され、日本平の観光スポットとなっています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.03.21 06:00:09
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