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カテゴリ:古谷 剛彦
金曜日は、古谷が担当します。
3日は「ばんスタ『延長戦』」に出演するため、今年初の帯広競馬場でした。週末を迎える前に、太田さんから小枝さんが亡くなられたことを伺いました。年賀状のやりとりをして、まだ2カ月ちょっとしか経過していない状況だっただけに、「まさか…」という感じで受け止められない気持ちがありました。 ホッカイドウ競馬が重賞以外のパドック解説を行うようになったのは、2001年からです。日高軽種馬農業協同組合が中心となって組織された、北海道競馬運営改善対策室(当時)が、情報の少ない2歳戦が主軸であるホッカイドウ競馬で、ファンに馬券を買って頂くために2歳戦のパドック解説を始めようと、開幕から約1カ月遅れの5月からスタートしました。その時、場内実況をされていた小枝さんと太田さんがMCを行い、パドック解説陣の中に新参者の僕が加わったという形でした。 当時の私は、まだ25歳。テレビで競馬の解説を行うのは、当然ながら初めてのことですし、いわゆる競馬中継と違い、場内や場外施設にも放送が流れることもあり、解説の内容はかなりナーバスになりうる状況でした。その中で、小枝さんに助けて頂くことも多々ありました。札幌開催の時は、牧場の方々も来られていましたが、旭川に舞台を移すと、地理的に頻繁には行けないということもあり、私の出番が一気に増えました。小枝さんとの掛け合いが定着し、私も解説者としての自覚も出ていきます。ある意味、私を育ててくれた恩人です。 (2004年「エトワール賞」当日の朝。札幌開催時は、1R前に顔出しがありました) 門別競馬場では、当時はスタンドとコースの間にパドックがあり、実況席からマイクを下ろしてもらい、パドックの目の前から解説をしていました。隣にいてやり取りをするのではなく、最近でいうリモートのような形でしたから、難しい面はあったと思います。 最後にお会いしたのは、大滝翔アナウンサーが「ばんえい記念」を初めて実況した時の夜だったと記憶しています。「実況、良かったよー」と、大滝さんに声を掛けていたのが凄く印象に残っています。 帯広に来ることができ、お別れをきちっとでき、感謝を伝えました。小枝佳代さんの御冥福をお祈り申し上げます。そして、ありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年03月31日 23時31分31秒
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