ヨーロッパの王族の結婚は大変だ〜。
ヨーロッパ王族のゴシップはある意味で伝統。ルーマニア国王フェルナンド1世と政略結婚したマリア王女はイギリス貴族でしたヴィクトリア女王の次男とロシア皇女との間の長女として産まれています。彼女は従兄弟のジョージ5世と相思相愛だったそうですが母の反対にあいルーマニアのフェルナンド1世に嫁ぐ事になったのですが夫の事を好きになれず不倫三昧だったそうです。(この辺が格上のイギリス王室ゆえ?)上二人の子は夫の子でしたが下の4人は愛人の子で、夫も黙認だったそうです。最後のルーマニア皇帝となった「ミハイ1世」はマリアの孫ちゃんなのですが長男カロル2世はとんでもない放蕩者だったそうです。ギリシャ王女と政略結婚して「ミハイ1世」を設けますが離婚し王位も捨てトンズラ…愛人との間には二人の庶子を設けていましたが父親が亡くなってまだ幼いミハイ1世の傀儡政権下で戻り一時、王位についていた時期もあったそうですが革命が起こり金銀財宝を持って愛人と逃げたそうです。此処で残され追放されたルーマニア最後の皇帝「ミハイ1世」は一文無しでヨーロッパを転々とし「テストパイロット」の仕事をし細々と暮らしたそうです…彼は最後まで父親であるカロル2世を許さなかったそうです。ブラン城を受け継いだイレアナもアメリカに渡り二度の離婚を経ながら「正教」の教会で奉仕活動を続け最後はフランスの修道院で亡くなったそうです。「イレアナ」が最初に結婚した夫はハプスブルグ家の血筋だったので、ブラン城の相続人のアメリカ人の建築家がハプスブルグの苗字なのです。もしマリア王妃が相思相愛のジョージ5世と結婚していたらイギリス王室の歴史も変わっていたかもですね…「エリザベス女王」の誕生はなかったかも…愛なき政略結婚の結果、不倫や愛人が黙認され子供達はそんな親を憎み素行が悪くなってしまったのかしら?「業の深さ」と「欲」は人生を狂わし末代まで祟るという話でした。シナイアの「ペレス城」シナイアの正教の僧院