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テーマ:v 花粉症 v(1203)
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季節も3月に入ると、ちまたでは花粉症の症状に悩まされ出す時期のようで、周囲でもチラホラとそれらしき方をお見受けするようになりました。
ヨガ道場でもやはりそれは同様?のようでして、鼻をかみつつ「(私ってば)嫌悪の感情が強いから(花粉症になってんねん)~」とおっしゃる方がおりました。 「病は気から」と書いて「病気」と読むように、たしかに「心のありようが病や怪我の原因となる」ことを、特に最近いろいろと思い知らされ体感させられている私ですが、なるほど花粉症は「嫌悪」が関係しているのか......と。 実はわたくし、花粉症の自覚症状はこれといって特に経験がないのです。 もちろん嫌悪が心にまったく存在しないような聖人君子であるはずもないのですが、10年くらい前から何故か「むやみに他人を嫌ってはいけない!」という突き上げてくる誰かの叫びのような声が自分の中でときどき響くような気がしてしょうがなく、「確かになー......他人をむやみに嫌って良いと言えるほど自分はたいした人間じゃないんだから、できれば嫌わないようにするべきだよなぁ......」とそれまで以上に思うようになり、ほんの少しずつではありますが「嫌悪を減らす努力」というのは自分自身で一応は継続的におこなってはいたのです。 ひょっとすると、その努力のおかげで花粉症で苦しまなくて済んでるのかも......とちょっと思いました。 「嫌悪」の感情が、粘膜を敏感にする作用があるらしいそうで...... ワタシ的には、「嫌悪」というと「足首の故障」がまず思い浮かぶのですが、粘膜にも作用しているみたいですね。 その敏感になった粘膜に、花粉という「条件」が発症の引き金となるのか~というわけで。 まぁ、今のところはありがたいことに花粉症の自覚症状に悩まされていない私ですが、長拳を始めたての頃は、側足易腿(ce ti tui)の練習で痛めた足首を、同じ動作で何回となく痛めていました。 10年ちょっと前にも、ふたたび痛みが続いた時期がありましたが、これらの時期に共通しているのは、たしかに私の内面を徹底的に観察すると「嫌悪」というキーワードがドンピシャリで当てはまります。 長拳を始めたての頃は、家族...特に妹に対する「破壊的願望をともなう異常なまでの嫌悪」があり、10年ちょっと前の時には「自分が唯一心のよりどころとしているコミュニティで、自分を理解してもらえないという忸怩たる思いが募りすぎ「こんなに頑張ってるのに何故?!」と被害感情にとらわれすぎて、死にそうなほどの孤独感でノイローゼ気味になり始めた時期」で、自分が嫌で嫌でたまらない.......そんな状況だったのです。 あの頃と今を比べると、確かに「嫌悪」を持たないように努め続けるだけで、なぜか足首の故障は運動しても全然発症しなくなってしまいました。 なるほど、心のありようが「原因」で、運動やアクシデントというのは引き金となる「条件」なのだなぁ........と、自分の経験のみならず他人のケースをたくさん思い出してみても、納得するばかりです。 この相関関係は非常に興味深いので、日頃からの観察を、今まで同様怠らずに続けてみようかと思います、ハイ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年04月08日 00時29分51秒
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