ウインドサーフィンの思い出 パート2
昨夜テレビでプロウインドサーファー飯島夏樹氏をモデルにした昨年映画化された「Life天国で会えたら」を見ました。 飯島氏とは数年前にグアムのココス島でウインドサーフィンしたときにお会いしました。 当時ココス島のスポーツクラブで働いておられ、その日は私一人しかウインドの客がおらず、私に「沖に行くとサメが出ますから、気をつけてください。」と言われたのを思い出します。 当時なんでワールドカッパーがこんなところで働いているのかと不思議に思いましたが、世界的にウインドサーフィンブームが去って久しく、試合自体が激減していたのでしょう。 北京オリンピックでは未だにウインドがオリンピック種目なのは、まだまだフランス、ドイツをはじめとするヨーロッパではメジャースポーツなのでしょうか。 日本のウインド人口が情けないほど減ってしまったのは、80年代前半の流行のピーク時に「特許問題」で業界がゴタゴタして、新しいマーケットの健全な成長に水を差したというのが一因です。 当時私は建築建材メーカーの営業をしていましたが、通常の営業活動に加え「新規開拓」として、自己申告でウインドサーフィンのパーツ分野に進出を企てていました。 その時特許庁で世界のウインドサーフィンの意匠登録を含め特許全般をリサーチして驚きました。 全世界の個人から大企業まで含めると、A4コピーで積み重ねると50センチにもなったのです。 「ようやるでぇ。」と言うくらい、クダラナイものから、なるほどと感心させられるものまでありとあらゆるものまで申請、許可されていました。 アルミ二ウム、カーボンメーカー、総合商社との打ち合わせにも時間を費やしましたが、結局断念せざるをえませんでした。 この時ほど、企業の特許に関する凄まじい執念を感じた事はありませんでした。 企業が生き延びるには、特許を代表とする「オリジナリティ」が必須なのは言うまでもありません。 ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚