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テーマ:東急沿線(46)
カテゴリ:学外活動の報告(東急沿線)
今回は、横浜の山手へ行ってきました。
![]() 出発地点は、石川町駅です。 石川町駅から元町の方へ歩いていくと、「リセンヌ小路(こみち)」という商店街がありました。 ![]() リセンヌとは、フランス語で女子高生のことですが、恐らく山手にはフェリス女学院や横浜雙葉など、多くの女子校があることから、この名前がつけられたのでしょう。実は、不思議なことに山手にはインターナショナルスクールなどを除いて男子校や共学校がありません。 ![]() ![]() リセンヌ小路を抜け、元町へ入りました。 平日の午前中にもかかわらず、元町には意外と沢山の人がいました。上の2枚の写真は元町ですが、こうして見ると、街並みがまるでアメリカのようです。これはやはり、文明開化期には外国人居留地が、戦後には米軍の駐留地が近くにあったことと少なからず関係しているのでしょう。 その元町で、面白いものを見付けました。 ![]() なんと黒いポストです。ポストは赤いものだと思い込んでいた者にとっては、大変な衝撃です。遠くから見ていたときには、ポストだとは、つゆとも思いませんでした。街の景観に合わせて、あえて地味な色にしたのでしょう。流石は横浜です。 ![]() 元町の端、外人墓地の坂の下にある「ウチキパン」で、お昼ご飯を買いました。各々買ったパンを持って港の見える丘公園へ移動しました。 元町側から港の見える丘公園へ入ると、まず目に入るのはフランス領事館跡です。今は、土台と壁の一部しか残っていません。 ![]() 公園内の横浜市イギリス館や山手111番館を見て、山手111番館の裏で桜を見ながら、みんなでお昼を食べました。 ![]() 非常によい天気で暖かく、猫も気持ちよさそうに眠っていました。 ![]() その後、横浜山手聖公会の前を通って、山手234番館へ行きました。横浜山手聖公会は、昨年1月の火災で大きな被害を受けましたが、11月に修復工事が終了したそうです。2度とこのような惨事のないことを願い、また、今後も、山手の象徴のひとつとして、いつまでもその姿を残していってほしいと思います。 ![]() 横浜山手聖公会 ![]() 山手234番館では、くるみの会というサークルの方々が写真展を開いていらっしゃいました。この写真展を見学し、写真の素晴らしさを部員みんなで再確認しました。 以下、エリスマン邸とベーリック・ホールは、時間の都合上写真だけです。 ![]() ![]() ガイドマップなどには、あまり載っていないので、他の洋館に比べて知名度は低いと思われますが、山手214番館にも行きました。 ![]() 山手214番館 この建物は、横浜共立学園の敷地内にあるため、中に入ることは出来ませんでした。昭和初期に建てられ、かつてはスウェーデン領事公邸として使われていたそうです。現在は、横浜共立学園同窓会館となっています。 山手214番館のみならず、横浜共立学園本校舎も昭和初期に建てられた歴とした山手の洋館です。しかし、当然のことながら、中に入ることはおろか、外観を正面から見ることさえ困難でした。 山手214番館を見た後、乙女坂という坂を下り、すぐにまた階段を上って外交官の家とブラフ18番館のあるイタリア山庭園へ行きました。 ![]() ![]() 乙女坂を下りると、そこには丘の上とは全く違った世界が広がっておりました。丘の上には異国情緒漂う街並みが、丘の下には日本的な住宅街が広がっているのです。部員の1人が「これは神戸の街とは違って面白い。」と言っていました。神戸の洋館は普通の街の中にポツポツとあるのだそうです。同じ港町の横浜と神戸でも、そうした違いがあるとは大変興味深いものです。 ![]() ![]() 外交官の家は、もともと渋谷にあったものを今の場所に移築したそうです。本来は日本家屋の部分もあったらしいのですが、現在は失われてしまっています。明治時代の外交官の暮らしを追体験することが出来ます。 ブラフ18番館は、カトリック山手教会の司祭館だったものを現在地に移築したそうです。この洋館の一室で、田園都市倶楽部の今後の活動について少し話し合い、昔の上流階級の気分をみんなで味わってみました。 ![]() これで、一応、山手の洋館を一通り見終えました。この後、再び石川町駅へ戻り、帰宅しました。 桜と洋館が青空に映え、非常に美しい春の山手を見ることが出来ました。また、横浜の歴史についても学ぶことが出来、大変有意義で充実した1日であったと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年07月02日 22時26分10秒
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