|
カテゴリ:カテゴリ未分類
望んでもいない現実を、実は「望んで」創造している・・・
理由のひとつが「制限」だと思います。 いろんなパターンがありますが、無数の条件を自身が提示しているにも関わらず、そのことに気づいていない、なんてのが多いのではないでしょうか。 ゴルフに限らず、上達するには・・・ということに「練習あるのみ」ということに異論はないと思います。しかし、そう思っているだけのつもりが、ものすごく外的要因に条件付けしていないかと。 前の日記で >この3ヶ月、毎日素振りなどして、最低でも週末にはレンジへ行き・・・ 実戦不足なのでラウンドし・・・ 練習器具のみならず、クラブまで買い換えて・・・ と書いておりますが、これ全部「外的要因」です。 要するに、それなりに「時間」も「金」もかけて、「汗」もかいたぜ、と。 結果、失敗に終わった・・・とまでは言えずとも、結果は出せていない。 自身は気づいていませんが、自らの思考パターンが↑に現れているなら、同じように外的要因に原因を求めているはずです。 もっと「時間」と「金」をかければ何とかなったかもしれんけど、自分にはそれがなかった。 なんてね。(苦笑) たまたま打撲でクラブが振れなくなりました。しかし、仮に振れていて、継続して同じように毎日素振りしたり、毎週レンジ、そのうちラウンドを3ヶ月経過しても、今とそんなに変わらない気がします。多少は何とかなってるかもしれませんが。 根本的に何か違う感じなんですよ。 制限だらけの思考形態に邪魔されて、本来働くべき力、別の領域で発動するもの?が、動けないままであるというか。 結局、「取引」しようとしてるというか、だから受け取れないというか。 上手く説明できませんが。 亅さんには、いろんな形でご指摘受けてたと思います。 なんかようやくわかってきた感じ。わかってくると、結構大変で。 自己責任を認めると、責任回避したくなる。(苦笑) これと正反対なのが木刀居合です。 そもそも居合をやろうと思ったわけでなく、上手くなろうとか、この道をもっと・・・なんて何もないのですが、それがいいのか、一切余計なことを考えないし、そのせいか制限がありません。(というように観える) 師匠と一緒に練習すると、非常にいい汗をかき、身体から何かが抜けたようになります。 打撲でクラブが振れないのに、練習できましたし。(不思議ですな) 理なんて口にするのもおこがましいので単純にコツとしましょう。 動きが正解に近づくほどに、鞘から抜けないという事象と出会う。 テキトーにやるとそんなことは起きません。 しかし正解に近づいて、そんな事象をコツをつかんで抜けると・・・ 単に鞘から刀を抜くだけのことが、全く違ってます。 全身に広がる何かがあるんですな。素晴らしいです。 上手くなりたいと思ってるわけでもなく、しかし目の前の練習を無心に精一杯やる。 それも面白い、心地よい、「愉快!」と感じながらです。 そうすると、受け取るべきものは受け取っていることに気づきます。 やっぱり上手く説明できません。 しかしながら、自分のための備忘録をしばらく続けてみようと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|