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久しぶりに熱い記事をみた。六星 蒼氏の「医療に成功報酬制を」という一文である。成功報酬制で真っ先に思い起こしたのが手塚治虫のブラックジャックだったから今日のタイトルもそのようにしてみた。特に深い意味はない。
六星氏の文章はかなり辛辣で、医療とは何かを経済的観点から鋭く切り込みを入れている。僕は六星氏みたいにきちんとした意見を持って文章を書くほどの能力は持ち合わせていないのだが、それでも読む者に何かを考えさせるものがある。 僕は氏の文章が正論であるとは思わないのだけれども、やはり医療に対する報酬についてはきちんと検討すべきだと思っている。それは先日のニュースにも取り上げられた「救急車の有料化」や「混合診療の解禁」とも通じるものがあるからだ。 僕の場合は報酬を受け取る身(もちろん払う場合もあるが)なので少し見方が違うけれども、医療経済とは何かを考え直す時期にきているのは確かだろう。すべての国民が等しく同程度の医療を受けることができる、それ自体はすばらしい概念だろうが財政面からみてもかなり無理があるのは誰の目にも明らかだ。 日常的な診療をしているサラリーマン医師としては「どれだけ患者さんを診ても同じ給料だよなぁ」という感じがぬぐいきれない。夜中に20人の救急患者さんを診ても、一人も来ない平和な当直だったとしても給料は一緒だ。すべての給料を成果主義的にするのは問題だけれども、基本給+αのαの部分ぐらいは成果主義的にしてもいいのではないだろうかと思う。 結局は人間の体を直接相手にする仕事だから、不確実でもありその治療に対する報酬をどのようにして決めればいいのかは非常に難しい。すぐに成功報酬制が取り入れられるとは考えにくいけれども、現在の日本において予算のかなりのウェイトを占める医療費は何とかして減らしていかねばならないだろう。 今後、診療が成功したときの金額とそうでないときの金額に差がついたとしても仕方ないだろう。しかし成功報酬制度は医療者へのいっそうの努力を促す警鐘であると同時に、患者さん自身にも直接関わってくる重要な問題だ。患者さんにも不利益が生じる可能性は十分にある。 医療とは何か、単に倫理面だけのきれい事を論じていても始まらない。その「医療」とやらで生活している人々が想像以上に多いことは容易に想像がつくだろうが、病気やけがというのは結局は人の不幸である。その不幸を飯の種にしなければならないというのも、案外つらいものなのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.05.17 11:07:17
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