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カテゴリ:楽園に吼える豹
アル=ラシードの居室は王宮の南東にある。
長男のマルスの部屋とは広さ・調度の豪華さともに僅かに見劣りするが、彼は無意味な装飾を嫌う性質(たち)であったから、あまり気にならなかった。 彼が兄を嫌うとしたら、それはもっと別なところに原因がある。 グラスに注がれた真紅のワインをゆらゆらと傾け、アル=ラシードはソファーに半分寝転がった。 電灯はつけていない。が、外は月明かり。周りの様子がわからないほど暗くはなかった。 「あの女、兄上のおかげで命拾いしたな」 そういうと、ワインを一口飲んだ。 彼の視線の先には、ファリドがいる。暗くて表情はうかがい知れないが、きっと無表情なのだろう。 このファリドという男は昔からそうだった。付き合いの長いアル=ラシードでなければ、彼の忠義に厚い性質は読み取れないだろう。 ファリドは無言だった。 「兄上も甘いお方だ。一昔前までは、外国人などがあのような口をきいたら即座に王宮から追い出していたというのに」 そう言って、アル=ラシードは先ほど自分に掴み掛かってきたアスカを思い出して眉を顰めた。 父・シャラム七世のように表には出さなかったが、彼も十分アスカに対し怒っていた。嫌悪と侮蔑の入り混じった怒りだ。 「まぁいい。私があの事件の犯人だという証拠など何もない。あの者たちには何もできないだろう。だが私は―――動ける」 言いながらアル=ラシードはワイングラスをテーブルに置き、立ち上がった。そして窓のそばへ歩み寄る。 背後から初めてファリドが声を発した。 「…何かなさるおつもりで?」 「もちろんだ」 アル=ラシード王子は、それ以上は何も言わず口元に卑しい笑みを浮かべた。 アスカは一睡もすることなく朝を迎えた。彼女は一日くらい眠れなかったからといって愚痴をこぼしたり、寝不足が顔に出るようなことはない。 彼女は一晩中、藤堂の部屋の前で不審者を警戒していた。が、幸い藤堂の寝込みを襲うような不届きな連中は現れなかった。藤堂の部屋の窓にもボディーガードが立ち、見張りを続けていたが、特に何事もなく朝日が昇った。 午前中は王宮で新大統領との会談が行われる予定になっている。 アスカたちはぴりぴりした緊張感を抱えて藤堂の護衛に臨んだが、三時間に及ぶ会談中も、その後も不穏な動きは見られなかった。 そのまま、予定は次の昼食会へと進行していく。 (…あいつがこのまま引き下がるとはどうしても思えねぇんだけどな……) アル=ラシードは平和ボケした王族などではない。あの瞳はぎらぎらと、まるで獲物を狙うハンターのように光っていた。野心もある。誇りもある。 が、昨夜の晩餐以来、彼が藤堂に近づくチャンスがないのも確かだった。それはある意味当然ではある。いくらトゥーリア王家の者だからといって、おいそれと他国の高官に近づけるわけもない。 王宮の中庭で催された昼食の場においても、彼とその側近のファリドは藤堂からかなり離れた席についている。 藤堂の隣に座っているのは、トゥーリア新大統領とマルス殿下だ。 アスカたち護衛者は藤堂から二、三歩離れたところに立っている。ユキヒロも彼女らの更に後ろから、心配そうな視線を投げかけている。 「……」 アスカは藤堂とその周囲から目を離さない。 藤堂を狙わないと保証できる者は、この中にはいない。出席者と使用人は一応金属探知機による検査を受けているが、銃やナイフ以外でも人は殺せる。油断はできない。 アスカの前を、ヴェールで顔を隠した女性が通り過ぎる。青色の細かい細工が施された水差しを抱えている。 ヴェールから覗く双眸が、アスカの目線と一瞬交差した。 (……フィーラだっけか? 確か) 彼女の視線はアスカから反れ、藤堂へと行き着く。腕に抱えた水差しは、彼のコップに水を満たすためのものだ。 フィーラは藤堂の斜め後ろから、丁寧な仕草で水を注いでいく。 その時風が吹いて、フィーラの纏う薄黄色のヴェールがふわりと広がった。一陣の風が近くの砂漠から砂を運んでくるのだろうか、アスカは目に微かに異物感を感じ、手をかざして風をよけた。 風が収まりアスカが手をどけたときには、もうフィーラは隣のマルス殿下のほうへと移動していた。同じように水を汲んでいる。 アスカはもう一度アル=ラシードに目を遣る。相変わらず様子は変わりない。あの位置では何かしようとしても、すぐに取り押さえられてしまう。 何せ席は横一列に設けてある。藤堂は中央寄り、アル=ラシードらは向かって右寄りだ。 そして表面上は何事もなく時間が過ぎていく。 だが、その時だった。 「う、うわあああ!」 つづく ネット小説ランキング、人気ブログランキングに参加しました。 皆様、応援よろしくお願いいたします♪ ↓ ネット小説ランキング>異世界FTシリアス部門>「楽園(エデン)に吼える豹」に投票 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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