お犬様のお伊勢参り 後編
お犬様のお伊勢参り 後編 ~犬が西向きゃ 尾は東~さてさて、犬の夢の助、一路伊勢路へ向かって走りだしたのである。 日暮れになれば、街道筋の人家の前にじっと座る。 家の者が不思議に思うが、首に巻かれた木札を見て、お伊勢参りの犬とわかれば、丁重に家の中に入れ、食事をあたえ、体を拭いてくれた。 竹筒から食事代として若干の銭を頂く家もあるが、 逆に立派な犬だと、祝儀をくれる家もあり、 夢の助が主人の白金屋縞右衛門から預かった路銀が不足することはなった。 犬の夢の助はこうして街道の家に世話になり、泊り、夕食朝飯を食いそびれることなく旅を続けることができた。 箱根の関所でも、役人が夢の助の頸に掛かった木札を見るや、 「感心な犬じゃ、気を付けて参れ、」 と、関所破りすることもなく旅をつづけられた。 街道で出会う人々は犬のお伊勢参りにびっくり仰天し、感心し、 「お伊勢参りのお犬様だ、お利口な犬だこと、」 「てえしたもんだよ、おらの息子も見習った方がいい、」 と、頭を撫ぜては、心付けをくれたり、おやつをくれたりしたのだった。 伊勢も近くなれば、街道は参拝者が行き交って賑やかになり 伊勢参りの参拝者のための握り飯などの炊き出しも見受けられ、 夢の助も昼飯にありつくことさえできたのだった。 また、伊勢参拝の人が泊る宿に夢の助が泊まることもあった。 宿の者も偉いお犬様だと、喜んで夢の助を迎え、体を拭いて、 食事を出し、心付けの銭までくれたのだった。 犬のお伊勢様の代参で、すっかり人気者になった夢の助が伊勢に着くころには 銭が竹筒にはいらずに巾着袋の中にも溢れ、首がずっしりと重たくて難儀したほどであった。 親切な人に出合いながらの伊勢道中が夢の助は楽しくて仕方がなかった。 こうして、江戸から126里(504キロ) 夢の助は十日を重ね 伊勢神宮にたどり着いたのだった。 伊勢神宮本宮前には、ぴたりと身を伏せて頭を下げた犬がいたという。 伊勢神宮の宮司から頂いたお神札(おふだ)を竹筒に納めると 頭を二度下げ、わんわんと、二拍手し、もう一度頭を下げ、 人並みに、二礼ニ拍手一拝をきちんとして、来た道を帰っていったという。 それを目にした参拝者たちは 「ひえーっ、犬が立派に参拝してる、江戸から来た犬と云うじゃねえか、 感心な犬だ、すごい犬がいたもんだ、、」 と、いう風説が瞬く間に江戸の町まで流れたのである。 日本橋白金屋縞右衛門の店に帰参した夢の助に 白金屋縞右衛門は感謝感激で、 「夢の助、伊勢の参拝から帰ったか、あっぱれじゃ、見事な犬じゃ、、」 と大喜びし、竹筒から取り出した御神札を神棚に飾って手を合わせた。 江戸の町の方々からお伊勢参りした犬を一目見ようと店にきて、 夢の助の頭を撫ぜに来る日が続いた。 おかげで店は大繁盛し、越後屋を凌ぐほどだったという。 だが、夢の助は、ただ店先に座わらされ、頭を撫ぜられているだけで、 こんな日がずっと続くのかと思うとうんざりしていた。 夢の助は楽しかったお伊勢の旅にもう一度行きたくて うずうずしていたのだった。 或る日、主人の縞右衛門に懇願した。 縞右衛門の目をじっと見て、わんわんわんと、吠え続けた。 縞右衛門には何で夢の助が吠えだしたのかわからない。 夢の助は自分の思いを伝えようと、一時も吠え続けたという。 閉口した縞右衛門は「こら、黙りなさい、客が驚いているではないか、」 それでも、夢の助はお伊勢参りを必死に訴えて吠え続けた。 縞右衛門はついに堪忍袋の緒がきれてしまった。 「うるさいぞ!、お前なんぞ、どこへでも行くがいい、」 と、夢の助を店先から追っ払ってしまったのだ。 すると、人々は 「白金屋縞右衛門は残酷な人だ、夢の助が可哀そうだ、」 という風評があっという間に広まり、店に客はばったりこなくなり、 二年も経たずに白金屋の店はにっちもさっちもいかなくなって 人手に渡ったそうだ、 夢の助は白金屋を追われてから、行く当てもなく、 江戸の町中を放浪していた。 だが、野良犬には野良犬の仁義があり縄張りがあって、 独り犬の夢の助はなかなか餌にありつけなかった。 それどころか、石をぶつけられたり、武士には試し斬りにされそうになり、 浮浪者には犬鍋にされそうにもなった。 独り犬が生きていくのには厳しい現実があったのである。 夢の助は、腹をすかし、すっかり痩せて、体は汚れ、 かっての凛とした風貌は見る影もなかった。 一方、白金屋を引き継いだ、正直屋正太郎は客が少ない店を その名の通り、駆け引きのない地味で正直な商いを細々としていた。 そんな店先に、伊勢への旅が忘れられずにいた夢の助が、 夢を再びと、ふらふらと現れたのである。 その店は白金屋縞右衛門の店ではなく、正直屋正太郎の店先であった。 やつれて痩せて汚れた犬であったが、哀れに思った正太郎は飯を食わせ 体を洗ってやった。 二三日もすると、犬は元気になって凛とした風貌に見違えたのだった。 「もしや、あなたは夢の助ではないのか、」 正太郎がそう問うと、 ~わんわん、~答えてしっぽを振ったという。 正直屋正太郎は夢の助がお伊勢参りをした犬のことは知っていたので、 「夢の助、またお伊勢様の度に行きたいのかい?」 すると、夢の助は わんわんわんわんわん、と大喜び、尻尾がちぎれんばかりに地面を掃いたという。 こうして、夢の助は正直屋正太郎に準備をしてもらい再び伊勢へ旅立ったというのだった。 笑左衛門