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カテゴリ:小説 江戸珍臭奇談 貸し便お菊
江戸珍臭奇譚 11 貸し便お菊 1 見栄えが悪けりゃ、女じゃねえってさあ、、 「ああいやだ、もうたくさん、もう無理、私は何も悪いことなんかしていないのに、 生まれつきのこの容姿が憎い!!」 お菊は亭主の甚右衛門から貰った鶴の絵柄の入った高価な手鏡を、がしゃんと、庭石に乱暴に叩き付けた。 「もう我慢がならない、なんだい、ちんけなお茶屋のくせに、馬鹿にしやがって、 もういい、耐えているだけの人生はもう御免だ、我慢だけの生活はもう限界だ!」 お菊は悲しみと怒りの混ざった涙をぼろぼろこぼしながら、ふかし芋を口に入れてむしゃむしゃと食べ続けた。 お菊は直参旗本千石取りの梶井文左衛門の娘だった。 広いお屋敷の庭で犬を追いかけて駆けずり廻り、樫の木に登る、おてんば娘で、しゃきしゃきして、明るい子だった。 それに比べると、姉の美雪はおしとやかで、きれい好き、一緒に遊んでも、お菊の顔には泥が付き、着物も破き、汚れ放題だったが、姉の美雪は着物にちょっとでも泥が付けば拭き、決して泥で顔や手を汚すようなことはしない上品な娘だった。 「美雪お嬢様はおしとやかで、優雅で、ほんとに別嬪さんだわねえ、それに比べて、お菊お嬢様の方は、まあ、活発で、利発で、明るくて、たくましいこと、」 などどおべんちゃらを言われて、お菊はけらけら笑っていたが、春に目覚める年頃になると、鼻ぺちゃで、でぶで、へちゃむくれのおへちゃそのもであることに気づかされて、微妙に姉と自分に対する他人の目が違うことに気づいていた。 姉の美雪の容姿と見比べる度に、お菊は悲しくなった。姉の美雪が努力したわけでもないのに姉は、白い肌に綺麗な髪、切れ長の涼し気な眼で、鼻筋が通った美人顔だった。どうして、私とこんなに違うのかしら、おまけに、姉の名前には美がつく美雪なのにどうして私の名前は美菊じゃなくて、ただの菊なのかと思ったりもした。 僻みは妬みになり、捻くれ、やがて恨みに変わりお菊の性格も年を経るごとにだんだんと陽の当たらなくなる日陰の谷のように暗くなっていた。 ~娘十八番茶も出花~の頃になると、自分の容姿に男の冷たく嗤う視線が胸に突き刺さり、外を歩くのが苦痛になり、ひがな部屋に閉じこもるようになった。 浮いた話のひとつもなく、むろん恋の味などしるよしもなかったお菊は、男たちに囲まれて、華やかにはしゃぐ姉の美雪に嫉妬し、姉の悲劇を望むようにさえなっていた。 ~美人の面の下には鬼が住む~と言われる通り、姉は我儘で、他人を下に見る冷たい女であったのに、男たちは姉の見栄えだけでちやほやした。 「女子(おなご)は見栄(みばえ)じゃないよ、きれいな心が一番だよ」 「お菊、人間には、もって生まれた器量というものがあるの、それを恨んでも仕方がないじゃないの、人はそれぞれ違うもの、幸せは心の持ちようだわ、あなたはあなたらしくて母上は好きですよ」 母のお房の慰めの言葉も受け入れられなかった。宥めや煽ての言葉が嘘であると感じたお菊は、かえって悲しみを増加させた。 世の中の男は見てくれだけで女の価値を決めている。女は顔じゃねえ、心持よなどと、慰めの嘘っぱちを言う。 女は顔なのだ、姿かたちなのだ、浮世絵だって、茶屋だって、芸者だって花魁だって、遊びも、女房選びも、同じ条件なら必ず容姿のいい女を選ぶのが男だ。いや、女だって同じだ。ぶ男より二枚目、男前にあえば、頬を赤らめ、くらくらしてる。 こんなことを恨んでもしょうがないことはわかっていたが、自分の産まれながらの定めに釈然としない思いだった。 崖っぷちで堪えていたお菊が突き落とされたのは、、眠れぬ夜に、月を見ようと庭で佇んでいた時のことだ。こともあろうに、屋敷の中間部屋から、破落戸まがいの身分の低い足軽や中間たちがお菊のことを 「美雪お嬢様はほんとに綺麗になったけど、お菊様のほうはねえ、ばけべそのあの顔じゃ、かわいそうだが、おいらのまらも立ちそうにもない」 と、酒を飲んで笑いながら話しているのも立ち聞きしてしまった。美雪の膝はガクガクと崩れ落ちた。 やがて、美人の姉の美雪は高い身分の三千石の大身旗本、早乙女家の若様に請われて嫁いだ。美貌所以である。今ではお世継ぎも産まれ、二人の子に囲まれて、麹町のお屋敷で優雅に幸せに暮らしている。 ところが、お菊は何度お見合いをしても、「ご容赦願いたい」と、断られた。 父の政治力をもってしても及ばなかった。理由はひとつである。この容姿だ、見栄えが悪かったのである。空しかった。お菊が努力してもどうにもならぬことであった。お菊が世を儚むのも仕方がなかった。 部屋に閉じこもり、手当たり次第に煎餅に饅頭、芋に落花生、金平糖、暇さえあれば、涙を流しながらむしゃむしゃと焼け食いした。 おかげで、体重はゆうに二十貫(75キロ)を超え、立派な大でぶ、立ち上がるのにも、「よいしょ!」と、掛け声をかけるほどだった。 食べすぎのお菊にはもうひとつ悩みが増えた。食べる量は他人の三倍だ、その分出すほうも三倍である。 大概の人は大便は一日一回なのに、お菊は三回はいいほうで、五回六回という日もあった。頻便になってしまった、それも、時間がまだらなのである。外に出かけない理由の一つにはこの「悲しき頻便」もあったのである。 つづく 朽木一空
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最終更新日
2019年10月01日 12時20分24秒
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