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カテゴリ:小説 江戸珍臭奇談 貸し便お菊
江戸珍臭奇譚 12 貸し便お菊 2 駿河のお茶の皮算用 だが、天はお菊を見捨てはしなかった。二十歳を過ぎ年増にかかり、いよいよ売れ残りという時に、父の用心である吾助の計らいで、日本橋の茶問屋の駿河屋甚右衛門から、ぜひお菊を貰いたいとの話があったのだ。 駿河屋は甚右衛門が駿河の国から出てきて、丁稚の修行から番頭にまで上り詰め、暖簾分けして店を持った苦労人であった。 商売一筋で、商いの才覚にも長けた努力家で、店も、裏店から、今や日本橋の大通りにでんと店を構えてていた。 甚右衛門の前妻のお里は寝る間もなく働きずくめのまま、流行病で死んで、甚右衛門は独り身だった。 甚右衛門は背は低く、もっこりとした体躯で、髪の毛も薄く、けっして伊達男の部類の人間ではなく、見栄えの悪い五十男だったが、なにしろ蔵にはたっぷりと銭を貯め込んだ資産家である、梶井家では結納金も期待できた。お菊の父母は、娘が売れ残っては困る、渡りに船とばかりに、お菊にこの縁談を強引に進めた。 もう何十回も断られ続けているお菊の縁談である。不承不承ながら、お菊は駿河屋甚右衛門に人生を賭けてみることにした。この縁談を断れば、貝に蓋をしたまま、一生女として日の目を見ることがない気がしたのである。 駿河屋甚右衛門は実直そうな仮面の裏で抜け目なく算盤をはじく、駿河の国の商売人である。お菊と所帯を持ったのも、計算づくの上の駆け引きだった。 お旗本の姫君を内儀にしたとなれば駿河屋の店に箔がつき、身分上でも格が上がるというものである。 それに、今江戸は、老中水野様の天保の改革で、贅沢を廃し、質素倹約を進めよという号令が幕府全体にかかっている時期である。 お菊の父は一千石の直参旗本梶井文左衛門である。賄い方の番頭というお役目についていた。 ~質素倹約には、安くてうまい駿河屋のお茶こそがご時世にふさわしい、御改革に沿ったお茶でありまする、大奥の茶まで駿河茶にすれば、年間二百両もの節約になるのでございます~ と、梶井文左衛門に力説し、なんとか、江戸将軍家御用達のお茶にしてもらおうという魂胆があった。いや、魂胆というよりはお菊の嫁入りとの取引に近かった。 そんなお菊の知らぬ裏事情もあったのだが、めでたく、婚儀がおわった。 だが、お菊にとって駿河屋の奥方は幸せな生活とはいえなかった。 亭主の駿河屋甚右衛門は ~すまぬが、我慢してくれ、こうしないと、まらがゆうことをきかぬのだ~ と言って、お菊の顔に手ぬぐいを被せて、まぐあうのだった。 「ああ、店にはでなくていいのだよ、家の奥のことをよく頼む」 お菊はお姫様で育ってきたのだ、店先でぺこぺこ頭を下げ、お客におべんちゃらをいうのはできそうになかった。奥の仕事は丁度いいと思っていた。 だが、甚右衛門がお菊を店に出したくない理由は他にあった。お客は嫁に来た旗本家のお嬢様はどんなにか別嬪だろうかと顔を見たがるが、おへちゃで、でぶのお菊に店で対応され、嗤われて、茶まで不味く思われたら台無しになるからだ。 家の奥の仕事は掃除、洗濯、それにお台所、だが、自慢ではないが、お姫様として育ったお菊にはやったことがないことばかりだった。 ~なんにもできない人だねえ、~ まめに働いた前妻のお里と比べると、月とすっぽん、甚右衛門は武家の子女にほとほと呆れて、奥方としての扱いをしてくれなかった。それでも、お菊は我慢して、そのうちに子でも授かれば甚右衛門の態度も変るだろうと思っていた。 つづく 朽木一空
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最終更新日
2019年10月03日 11時03分43秒
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