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カテゴリ:小説 江戸珍臭奇談 貸し便お菊
江戸珍臭奇譚 14 貸し便お菊 4 三行半(みくだりはん)頂けますか、 お菊を北側の暗い部屋に閉じ込めておいて、駿河屋甚右衛門は、寄合だ、商談だ、打ち合わせだと、口実をつけては、店を開け、外泊することもしばしばだった。 亭主の甚右衛門は深川佐賀町に囲った若い妾に夢中になっていたのだった。 若いときには働いて働いて、女遊びも我慢して、ようやく日本橋の大店の主になった苦労人にはよくあることだ。若いときに遊べなかった青春を取り戻そうとして女遊びに走る。別段、それほど珍しいことでもなく、大店の旦那衆は妾を持っているのが男の甲斐性とでも思っていたのか、ごく普通のことだった。 お菊は腹もたったが、あくまでも自分が本妻なのである。子が授かれば、そんなことは子供可愛さでふっとんでしまうとたかをくくっていた。 ところが、毎日が十日置き、一月置き、三月置き、ついにはこの頃では甚右衛門とお菊が床を同じくすることもなくなり、これでは子が授かることなど不可能である。 甚右衛門とお菊はまぐあうあことのない、仮面夫婦になっていたのだ。 お菊はなすこともなく、終日部屋に閉じこもり、大好きな芋や、かりんとう、金平糖を齧(かじ)っては、うつろな毎日を暮らしていた。 そして、いつもの悲しき頻便がやってきた、お菊は糞がここぼれぬように、尻を押さえて雪隠へ行こうと、慌てて廊下を歩いていると、思わず「ぷっー」と、屁が漏れてしまった。 「誰じゃ、雷さんでもあるまいし、落し物の正体は!うっふっふ、お鈴かえ」 甚右衛門の声が障子の向こうから聞こえてきた。 「あたしじゃありませんよ、ほっほっほっ、まあ、臭うこと、、、」 続いて若い女の声がした。甚右衛門の部屋から、甚右衛門と若い女の声が聞こえてきたのだ。こりゃあ一大事だ! お菊は尻を押さえて、じっと障子に耳をあてた。 あろうことか、甚右衛門は自分の部屋に妾の女を入れて乳繰り合っていたのだ。 「家の奥で、豚を飼っている。その豚がよく肥えておる、」 「あらっ、まあ、奥方でいらっしゃるのに、」 「なに、そのうちに追い出すさ、役にも立たぬ豚はすこぶるぜいたく品だ、」 お菊は思わず障子に手をかけ、荒々しく開けた。甚右衛門と妾のお鈴はびっくり顔でその場を繕う。お菊は赤く充血した眼で甚右衛門と妾のお鈴を睨みつけた。 「何を見ている、ここにいるのは深川の三味線の師匠のお鈴さんというひとだ。きれいな人じゃろう。それに比べて、お菊、お前の顔、手鏡でよくみてごらん、ひどいものだよ、それでも貰ってやったご主人様を敬ってほしいね、わたしもね、男だからねえ、きれいな女の人の顔が見たいんだよ、」 甚右衛門はしゃあしゃあとして、その場を繕うこともしない。 お鈴は確かに色気満々の優雅な顔立ちで、気品の高さも滲ませ、修羅場でも涼しい顔をしていた。並みの女ではない雰囲気を醸し出していた。 お菊はお鈴と張り合うのは諦めた。男はみんなきれいなものが好きなのだ。これから先、駿河屋甚右衛門の家で我慢して暮らしても、惨めな思いをするだけだと思った。 「わたしがおへちゃで申し訳ございませんでした。もう、我慢がなりません、旦那様、三行半(離縁状)を書いていただけますか、」 「おお、お菊も物分かりのいい女だ、いつかそういう日が来ると思って、とっくに書いてあるよ、」 待ってましたというばかり、甚右衛門は箪笥の引き出しから三行半(みくだりはん)の書かれた半紙をお菊に手渡した。 「そのほう事、この度離縁いたし候、しかる上は向後何方へ縁付き候とも差構えこれ無く候、どうぞご自由に!!」 お菊はその三下り半を懐に仕舞いながら、唇の端に笑みを浮かべた。 今に見ておれ、甚右衛門、、 つづく 朽木一空
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最終更新日
2019年10月07日 10時30分06秒
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