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いろいろさ、論議はあります。
心の問題か? 体の問題か?って。 起立性調節障害のことです。 どうなっていたから発症したということを追及しても、 あまり意味はないと思っています。 そりゃあ追求するんですよ。初めは。 いいんです。それでも。 けれど、問題は追及した結果があって発症したではない場合が多いと思うから。 心にストレスをためていたかもしれません。 なにか心に痛いことがあったことが気になっているかもしれません。 小さい心臓を持っている子どもも三かもしれません。 なんだかモヤモヤがあるのかもしれないし、 言い分を持っているかもしれないし、ないかもしれない。 無理に言い分を探している子もいるかもしれない。 自分に困っている子もいるかもしれない。 それはわからない。 わからないことをわが子のことだからわかっておきたい親心。 けど、、知ったからって「それでどうなの?」「どうするの?」って 解決に向けての追求だとか、子どもよりも親が騒いじゃうことも よくあって、結局子どもは「いわなきゃあよかった・・」って 思うこともよくあるんじゃないかしら。 私も言われたわ。 「お母さんに言うとややこしくなる」 そして・・言ってくれなくなっちゃった。 いいも悪いも、評価しないで聞くことは、すごく難しいことだけど 「そうかそういうことがあったのか」 「大変だったね」とか「つらい思いをしたね」とか ただそれだけで終わらせときゃあ 聴いてもらった安心を持ってもらえたのにと 今も後悔しています。 それってもうずっと言わないから。 子どもの中では、親はややこしい。そう思うから。 それでも、今から、これからの『未来』しかないのだ。 『未来に向かって』 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 8, 2015 05:11:56 PM
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