『広瀬さんの手記を読んで~広瀬さんの慟哭と豊田君の沈黙~』
「悔悟」p152,p153,p169,p170...彼の残した言葉と思考は、彼が気が狂う前なのか後なのか…も知っておきたい。僕はまさに今、文献哲学の巨匠であるニーチェやドストエフスキーの取り組んだテーマよりも遥かに生々しく深遠なテーマに触れているという気がしている…この課題は、麻原の置き土産なのか、不始末ともいえる惨劇の放置の中に一人取り残された元凶として彼がポツリとそこに存在しているかのような…圧倒的な孤独を感じる。.彼はこう主張しているに等しい….私はマインドコントロールされて、この事件を起こしたのではない…それは救済だと認識していたのだ、と。騙されていたとも思っていない、思考停止もしていない…深く落とし込むことが出来てしまったのだ…と.教祖はこう述べ(p152,p153)、しかと救済の目標を掲げ、その課題の意図を述べたのだ…ともちろん、それはその後の自身の犯した罪で苦しむ被害者の慟哭を耳にして、爆死するほどの後悔の念に滑落してゆく事になるわけだが、彼はそれを正直に誠実に告白することで、事件の動機に関する真相究明に、寄与するつもりだったのだ….彼のこの気迫は凄まじい….嘉浩君の独白と悔悟にも鬼気迫るものがあり亨君のストイックすぎる沈黙にも、その無念さの深い色に眩暈がしそうでおぼれそうになる。広瀬さんの分析は、精神の中枢にある骨髄から髄液が滴り落ちるほどの苦痛を伴っての、告白なのだ….こうした取り組みを、嘉浩君も亨君も横山さんも林さんも、できずにいた…言葉にできぬほどの「理解不能の世界」であるために、避ける避けないではなく、で・き・な・い のだ。己の犯した罪の大きさと被害者の苦しみを背負った時点で、火に焼かれるほどの精神状態になるわけだから…弁明はすべて「言い訳」にしか響かず、嘉浩君の言葉などはほぼすべて、正直であるものであるにもかかわらず、「情けないもの」として悉く葬り去られていた。.事件に関与することなく「かろうじて」救われた同列の幹部信者は、この課題の考察と分析から、遠ざかった。.そして、それをすべき責任は、教祖であった麻原にあることは言うまでもない。言うまでもないのだが、それを誰もしないので…広瀬さんは、それを独り背負ったのだ。.「私は思考停止などしていない…ちゃんと己の頭で考え、落とし込み、そこには教祖なりの理論が存在し、それは当時の自分を納得させており、他の同列の幹部連中もみな、そのように受け止めていたはずなのだ…!」と…そこに誰一人彼を知り、彼を分かるはずの朋友達が、名乗りをあげなかった….この圧倒的な孤独をなんと表現したらいいだろう….その時、隣にいる「同じ境遇」の「同じ理解をしていた」と思われる朋友が、沈黙を貫き…見ていたはずのものを見てはいなかったのごとく、「思考停止した…」と表現した際に、見捨てられてしまった…とまで感じてしまったであろうことは疑いがない….ただしかし、そこまで神のごとく麻原の像を捉えていた人は、いたのだろうか…それは固くなまでの広瀬さんの信仰の彩であり、「他の信徒たちもそうであったに違いないのです」という発言が、虚しく空を切って手ごたえを失う….おそらく、この分析は、限りなく真相解明に近い段階まで肉薄しているにも関わらず、後のない他の実行犯の境遇でさえ、それを認めるわけにはいかぬほど恐ろしい領域の心理分析であり…不明瞭な心のよりどころのなさに、弱々しく顔をそむけるしかないものであったに違いない。.そして、広瀬さんと豊田君の教祖に関する捉え方の違いは、「神のような完全な人」という広瀬さんの認識に対し、「神のよう意識の及ばないうかがい知れない人」と捉えていたであろう点であり、同じようでいて、この認識は信仰において大きな差異があり、不安にさいなまれていた亨君の心情を僕は感じてならないのです。。。.~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「なぜ教団が事件を起こしたのか、知りたい」.被害関係者のこの慟哭を、B弁護団もBも直接聞いているはずです。それを考慮すると、Bらの「思考停止」の主張が妥当なものか、再検討を要するかもしれません。Bは前述のように、麻原からの指示の目的・結果を考えて(あるいは知って)いました。これは動かしようのない事実であり、証拠の上でも明らかです。.「悔悟」 p169 広瀬の言葉~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~...Eili ...