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一瞬聞き取れなかった。 そう言えば、番外篇で春原陽平の妹、芽衣の策略で呼ばされた様なもんだ。 いつものように、強引だがなあ。 ギャルゲーで結論(結果)が出ているから、そこまで到達出来るようなルートを無理矢理開通させているんだな。 ドラえもんで、のび太の子孫に不幸が蒙らない様に未来を変えさせる事と同じだ。 セワシの居る未来の都合の悪いこととは、のび太の遺した天文的な借金と、何よりジャイ子の遺伝子、剛田家の血が混じってしまっている事だろう。 恐らく野比家はセワシの代で本家の剛田家に頭が上がらないのだろう。 のび太は自分で会社興しておきながら花火で燃やして潰してしまっている。その所為で借金を背負っているのだが、剛田武(ジャイアン)はスーパーを経営している。 多分、それで頭が上がらない。 セワシは永遠に続く剛田家による野比家への支配を払拭したい目的があるのかも。 話は逸れてしまうが、こうしたドラえもんの設定は現在では通用しないだろう。 明らかに差別思想が込められている。 ジャイ子は差別されべき存在である。 言葉狩りもない自由な社会では描き放題だったろうが、今こんな設定があると、アニメでも悲劇扱いだ。 しかし悲劇てのは客観的に凝らして眺めると、喜劇なんだな。 のび太って本人にしてみればのび太の人生も未来の子孫も岡崎朋也並に(はっきり言えばのび太の方が苛酷で悲惨)悲劇を背負っているのだが、やはり児童誌(小学館の学習別掲載雑誌とコロコロ)に連載されていたから、面白おかしくしないと駄目なんだな。 月刊コミックラッシュでクラナドが連載されているが渚を喪っている朋也は自堕落し捲りの駄目人間を演じ生活している。 春原陽平は就職して更正してるが、朋也は駄目みたいだ。 のび太は最悪だ。 ドラえもんにもし会っていなければ、トラックに撥ね飛ばされていた所だった。 ラッキーマンの追手内洋一のように取って付けた様な不幸を背負う。 朋也は、現実を受け入れられなくなって、自暴自棄になっている。 これは『君が主で執事が俺で』と言うアニメで主人公二人の上杉美鳩・錬の姉弟の父親・上杉巌のようになるのと同じだろう。 こちらの父親は妻が死んだ事で暴力と虐待を繰り返す。 朋也の場合は育児放棄である。 上杉巌は暴力だが、何れもDVに当て嵌るだろう。 これも一種の言葉狩りだが、社会的に力をつけた者が意味付けをして行く。 昔から子捨て、躾を超えた暴力はあったが問題視されるのは、そう言う声を発する人が増えたから。 この作品(君が主で)は好きだが、まあ卵型ロボのデニーロがジャイアン風な所もそうだけど、やはり両者共ドラえもんには敵わない。 話が本題とはずれたが、今回の話は野球をする話だ。 前期のキャラ総出演ってトコかな? 相変わらず藤林椋が日陰に隠れてしまったが、猫と猪まで集まるとは、何かもう、『すごいよ!マサルさん』の世界だ。 ことみがどうやら飛んで来るボールの軌道を計算して打つタイミングを測っているのには笑えた。 これじゃあアフロ…?君だ。 そう言えば、ハルヒでも野球やってたな。 やり易いか? 芳野祐介が打つ度にリリックを呟くのが、これも何処のポギーだと思った。 春原陽平のここでのヘタレっぷりもマサルさんで言うところのトレパンだな。 意外と頑張るのが渚、ヒロインだし、何処か見せてやらなきゃな。 よくある野球の最終回で九回裏二死満塁(じゃないかもしれなかったが)秋生がスクイズ出来ねーぞと言ってたからピンチであり、チャンスでもあった。 前期のバスケの試合を髣髴させる。 やはり鍵を握るは朋也だ。 これ観て感じる事は、この生きている世代が町を作って行く事だと。 終ったあとの世界に残されたロボットのように。 壊されても、また作っていく。 日本はそういう歴史だ。 ダウンタウン松本も言う、地震や災害が多いから昔の風景が残らない。 だからこそ昔を懐かしむ風潮が我が国にはあるのだと。 正論で佐藤健志がポニョの事について評していた。 こちらについては長くなるので又の機会に。 そこでは大人世代が自分達のツケを子供が支払わされる事となっているが、このアニメCLANNADはツケなんてものはなく、今いる人達が築いていくと言うものだ。 この世は生きている人達の為にある。 江原啓之か? 決して傲慢な物言いではなく、生きている人達が物を作っていくという、後ろ向きにならず、生きることを肯定する物語だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.10.03 06:33:04
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