|
カテゴリ:カテゴリ未分類
何故、五色なのだろうか。 これには理由がある。 色を見ると、赤、青、白、黒、黄とある。 これは方位を表し、赤が南(朱雀)、青が東(青龍)、黒が北(玄武)、白が西(白虎)である。 また色は季節を表し、青が春(青春)、赤が夏(朱夏)、白が秋(白秋)、黒が冬(玄冬)だ。 方位は人間の住まう世界を表現する。 東はタイ系の東夷、南はクメール系の南蛮、西はチベット系の西戎、北はモンゴル系の北狄である。 因みに、夷と云うのは低とか底とかと古の内には音が一緒で低地人の意味だそうな。 象形では大きな弓を持った人である。 水辺に住む人達だったのだ。 時代を経る事によって、韓とか倭とかも入って来るのだが。 そして南蛮の蛮の字は、虫が入ってるな。文字通り侮蔑の意味が込められているのだが、門構に虫を入れた「びん」と同じだ。 しかしこの蛮と云うのは、蛮人の言語で人の意味だ。 バーバリアンが北アフリカの住民を意味する名前だったのに、いつの間にか野蛮人を指す言葉となってしまっている。 バーバリアンは元々ベルベル族を指していた。 やはりヨーロッパ人(当時はローマ帝国だ)が北アフリカ(バーバリ国家、又はマグレブ国家)の人達の言葉が聞き取れなく、バルバルとかベルベルとかにしか聞こえなかったのだろう。 それは当時のヨーロッパでもシュヴァルツバルト(黒い森)の人達の言葉が聞き取れなくて、ゲルゲルとかゴルゴルとか喉を獣のように鳴らす連中だとして呼んでいたのと同じだ。 その喉を鳴らす連中は後のゲルマニア、ドイツ人になる。 その様に相手の様子から名付ける事もある。 台湾は現地語で外来人と言う意味のターヤンから来ている。 台湾は向こうでは「ターユァン」と発音する。音が僅ながら残されてたんだな。 何故外来人と言うのか、それは統治した者が台湾人じゃなく、常に外来人による支配が入れ替わり立ち代わり続いていたからだ。 蛮は苗族の苗と元々音が同じ。 モン族が嘗ての南人として江南の南支那地方、楚蛮に君臨していて、北支那を脅かしていた。 結局楚の覇者項羽は漢の劉邦(これは本名ではない)によって滅ぼされる。 それで西の戎の意味は絨毯と同じらしい。 織物で生計を立てていたのか? それで北狄の狄とは市糴(してき)の糴と同じ意味だ。 糴とは易と同じで、交易をする人間だそうな。 こういう人達が集まって、交易して出来た所が「市」である。 朝の内にやるから、市も朝も昔は同じ音で発音されていた。 これが都市、引いては国家(都市国家、ポリス)の誕生である。 これがまた、中原の思想の発明なのである。 原哲夫は支那が言葉狩りに遭うのを避ける為に「中原」を使っているのだろう。 明治政府が天皇を同時に大元帥にしたのも、それまでの権威が将軍と幕府(陣地、陣営、キャンプ)の軍事政権だったからだろう。 本当はそんなことはない。 中原の覇者たる五色の旗の意匠をひっさげて君臨することにより、帝国は連綿と続いていると言うことをアピールするのだ。 中原の色、皇帝の色は黄色である。 三皇五帝の黄帝とは即ち中原の黄土を指す。 黄色が常に伝統的な洛陽の土地にあったから。 神獣も竜である。 名は黄龍だ。 滿洲帝國もまた、中原の後継国家と自称したかったのだろうか。 名前こそ遺蹟のような概念だけど、実の方が滿洲人のものばかりだったのだ。 皇帝の名前と漢字だけだ。 中身は完全に外来のシステムばかり。 外来のシステムとは、清朝に於いて活用されたのが滿蒙のシステムだ。 滿洲國はどうだったろう? 清朝末期の政治システムか? それとも日本のものだろか? 張作霖が生きていても恐らく滿洲國は出来ていたかも知れない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.10.20 04:04:03
コメント(0) | コメントを書く |