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2005年05月08日
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今JR西日本の事故に関する報道があり、同社人事部長が事故当日ゴルフに遊興した社員の道徳を問われて、これは個人の時間の問題でありプライバシーも尊重したいのでこれ以上のことは調べないし、従いこれらの社員の責任はないといったこと、それから、社長が先日の報道を見ると、過去の11年前の信楽鉄道での事故の同社の責任を徹頭徹尾裁判で否定し相手の鉄道会社の責を主張して争った考え方に、今回の事故の原因との相関関係を問われたときに、ないと答えたこと、これらがこの企業の体質を見事にあらわしている。それは一言で言えば、社会を欠いているということ、つまり、企業の外に規準がないということである。


さて、インターネットは大したものだ。図書館に行くことなく、ドイツから原書を取り寄せる費用を支払うことなく、楽々易々安々と原典を読むことができるのであるから。やはり、こうしてみるとGutenberg形無しであるなあ。

資本論の問題の箇所を読んでみたところ、やはり向坂逸郎訳の「大いさ」は誤訳でした。

Nehmen wir ferner zwei Waren, z.B. Weizen und Eisen. Welches immer ihr Austauschverhaeltniss, es ist stets darstellbar in einer Gleichung, worin ein gegebenes Quantum Weizen irgendeinem Quantum Eisen gleichgesetzt wird, z.B. 1 Quarter Weizen = a Ztr. Eisen. Was besagt diese Gleichung? dass ein Gemeinsames von derselben Groesse in zwei verschiednen Dingen existiert, in 1 Quarter Weizen und ebenfalls in a Ztr. Eisen. Beide sind also gleich einem Dritten, das an und fuer sich weder das eine noch das andere ist. Jedes der beiden, soweit es Tauschwert, muss also auf dies Dritte reduzierbar sein.〔Die Stimmen der Ploretarischen Revolution:http://www.mlwerke.de/me/me23/me23_049.htm#Kap_1_1〕

Let us take two commodities, e.g., corn and iron. The proportions in which they are exchangeable, whatever those proportions may be, can always be represented by an equation in which a given quantity of corn is equated to some quantity of iron: e.g., 1 quarter corn = x cwt. iron. What does this
equation tell us? It tells us that in two different things - in 1 quarter of corn and x cwt. of iron, there exists in equal quantities something common to both. The two things must therefore be equal to a third, which in itself is neither the one nor the other. Each of them, so far as it is exchange value, must therefore be reducible to this third. 〔Marxist.org. Internet Writers: http://www.marxists.org/archive/marx/works/1867-c1/ch01.htm#S1〕

さらにわれわれは二つの商品、例えば小麦と鉄とをとろう。その交換関係がどうであれ、この関係はつねに一つの方程式に表すことができる。そこでは与えられた小麦量は、なんらかの量の鉄に等置される、例えば、1クォーター小麦=aツェントネル鉄というふうに。この方程式は何を物語るか?二つの異なった物に、すなわち、1クォーター小麦にも、同様にaツェントネル鉄にも、同一大いさのある共通のものがあるということである。したがって、両(ふた)つのものは一つの第三のものに等しい。この第三のものは、また、それ自身としては、前の二つのもののいずれでもない。両者のおのおのは、交換価値であるかぎり、こうして、この第三のものに整約しうるのでなければならない。(資本論。向坂逸郎訳。岩波文庫。第1巻71ページ第1章商品)


「同一大いさ」という和訳に対するドイツ語は、「von derselben Groesse」

それゆえ「大いさ」とは、「Groesse」の訳であったのだ。これは他の「価値の大いさ」などという和訳もあるので、そのドイツ語に当たっても「Wertgroesse」であるから、この訳を終始一貫して使っているのである。

これは何故このような訳語を当てたかというと、多分労働というものの偉大さということをこのdie Groesseに、その思いを籠めたということなのであろうかとも思うが、しかし、これは少し酷すぎる。これは論理的な叙述であるから、何も「大きさ」と普通に訳せばよいものである。


英語では、「 in equal quantities 」とあって、これは同等の、ひとつふたつと数えることのできる量が主題であることがはっきりとわかる。やはりどう考えても、量的な概念を「大いさ」というのはおかしい。

この狭い引用からの判断ではあるが、この訳者は英語版の訳を取り入れた形跡がある。それは、方程式という訳語であるが、英語版は、equationで、方程式という訳はありえるが、ドイツ語の原文は、eine Gleichungであって、これは、和訳の「等置される」に応じた原文「gleichgesetzt werden」と照応して、「等しくすること」または「同じにすること」という意味である。Gleichungは、何かをgleichするプロセスという意味であるし、また、これは文の前後から言って誤解の余地はないので100%の誤訳とはいえないが、何か釈然としないところがある。もし方程式と訳すにたる原文があれば、それには必ずForumularとかSatzとか、そのようにあるのではないだろうか。

もし正しく訳していれば、価値の大きさも、又は質の大きさも(この場合ならばあるいは偉大さと訳す場合があるだろう)、量の大きさも、同じ大きさとして理解することができたであろう。その対象が何であれ、大きさとの関係では、訳語はぶれないからである。勿論die Groesseは相対概念であるから、小ささという意味も含んでいる。大きいは小さい、小さいは大きい。

こうしてドイツ語を見ると、例えば日本語に訳した、交換「関係」のVerhaeltnissも、これはドイツ語ではそのまま比率という概念であって、関係は比率であると原文から即座に理解することができるのであるが、それが和訳では平板な関係になってしまい、英語では複数形でthose proportionsとあるこの原義が、日本語の読者には伝わらない恨みがある。かくしてマルクスの言うことは、むつかしくなるのだ。関係とは比率だということがわかって初めて、ここでマルクスのいう集合論的叙述または初等論理学的叙述が理解できるのだのに。

何だか舅小姑が細かなことをいうようで嫌なことだが「an und für sich 」だって、専門の哲学者が「物自体」と訳したように、生きた人間ではない抽象化されたものやことをいうのであるから、「自身」ではなく、「自体」なのである。

もちろん岡目八目なのでわかるわけであるが、しかし、文法は大切だ。

やはり、僕が思うのは、日本語圏の人達には、ドイツ語の専門家達を大切にしてもらいたいと思うのである。日本語圏のドイツレストランのメニューには必ず3つはドイツ語の綴りや用語の間違いがある。特に近頃は、大きな書店の書棚を見ても、中国語や韓国語やらに押されてしまって、ドイツ語の書棚面積が縮小の一途であるのを見ることは、少々辛いものがあるので、この蛇足を書く。

さて、僕は、地球諸島連合の暫定大統領として、Ur-Kommunikations ParteiまたはUr-Kommunistische Parteiを創設しよう。しかし本家争いをするとマルクス主義を奉じた20世紀の共産党群と同じ過ちを犯すのでこれは要注意である。もちろん僕の考えているのは本家ではないが、しかし分家でもないのである。さてしかし、勝手に創設すると、即座に罷免される可能性もあるので、まづ世界の諸島の紳士淑女にメールを発信して伺いを立てることにしよう。こうして考えると、もはやParteiはやはり古いかもしれない。






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最終更新日  2005年05月08日 19時20分14秒


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