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カテゴリ:極私的映画史
「マルクスを見なさい」。高校3年の時の現国教師が最後の授業で言った言葉である。1970年代後半の田舎の高校生の中で、その「マルクス」が「マルクス兄弟」を指しているとわかる生徒が何人いたことだろう。チャップリンやキートンならまだしも、よっぽど映画の好きな生徒でない限り、マルクス兄弟は名前すら知らなかったと思う。 実際、東京に出てきても、マルクス兄弟の映画を見ることはできなかった。1986年10月、「マルクス・ブラザーズ・フェスティバル」によって、初めてスクリーンで大暴れするマルクス兄弟を見ることができた。上映されたのは、1930年代から40年代にかけてMGMで製作された5本、「マルクス一番乗り」「マルクスの二挺拳銃」「オペラは踊る」「マルク兄弟珍サーカス」「マルクスデパート騒動」である。2本立ての上映で「二挺拳銃」の上映が重なるため、「デパート騒動」は断念した。 さて、肝心の映画である。とにかく面白い。TVで「我輩はカモである」を見ていたものの、やはりスクリーンで見る面白さはスケールが違う。サーカスの道化師に笑いのルーツをおきながら、道化師におけるボケとツッコミのような役割分担を取っ払い、ひたすらアナーキーに動き回り、しゃべり倒す。複雑に絡み合うアナーキーな3兄弟の騒動に、周囲がどんどん巻き込まれていく。アナーキーといってもアドリブ重視というわけではない。3人もしっかり芸達者で、その芸でいかに笑わせるかが、映画のテーマなのである。その意味では、チャップリンやキートンのような映画的なコメディとは性格が違うと言ってもいいかもしれない。 とにかく、ようやく見られたマルクス兄弟だったが、残念なことがあった。それは上映サイズである。上映された新宿東映ホール1は、客席が階段状になり、スクリーンも大きい映画館だったが、なぜか映写技師はオリジナルのスタンダードサイズ(4対3)の画面を、横長のビスタサイズ(16対9)で上映してしまったのだ。そのため、画面の上下が切れる状態になってしまった。縦のサイズに合わせると、横が短くなり、スクリーンが小さくなるからであろうが、「風と共に去りぬ」のようにビスタ用にトリミングされてはおらず、切れた部分がスクリーンの外に映っていた。そのため、ずっと「ああ、画面の全部を見たい」と思いながら見るハメになったのである。 もっとも、昔はスクリーンサイズの間違いは結構あったようで、そういういいかげんさも昔の映画のいかがわしい面白さだったともいえるのだが…。 我輩はカモである [ グルーチョ・マルクス ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.04.16 22:18:30
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