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カテゴリ:極私的映画史
特に好きでもないのに何本も作品を見ている監督もいれば、逆にそれなりに興味はあるのにあまり作品を見ていない監督もいる。後者に当たるのが岡本喜八だ。東宝を代表する人気監督であるにも関わらず、なぜか見ている作品が少ない。名画座が元気だった時代も、結構特集が組まれていたのだが、どういうわけか縁がなかった。作品がバラエティに富んでいるのも、見る機会が少なかった理由かもしれない。 僕が岡本喜八に目覚めたのは、1991年に公開された「大誘拐」。「こんな面白い監督の映画を、なぜ追っていなかったのか」と悔やんだ。ところが、時すでに遅しで、1991年頃には名画座は減少の一途をたどっており、11月に見た「暗黒街の対決」「暗黒街の弾痕」の2本立ても、高田馬場パール座が生き残りをかけてリニューアルした時の特集だった。この2本は「大誘拐」にも増して面白かった。テンポの良さとブラックなユーモアが絶妙のコンビネーションを見せ、思わず拍手をしたくなる快作だった。 もし「暗黒街」シリーズを大学時代に見ていたら、ひょっとしたら岡本喜八に夢中になっていたかもしれない。それがなぜすれ違ってしまったのか。思うに、最初に見た作品が「日本のいちばん長い日」だったのがいけなかったのではないか。確かに「日本のいちばん長い日」は力作だと思うし、岡本喜八の力量も存分に発揮されている。ただ、内容的にいかにも重い。もしも最初に見た岡本作品が「独立愚連隊」だったら、きっと岡本喜八への印象は違ったものになっていたと思う。 また、旧作ではなく、ほぼリアルタイムで見た作品の印象がイマイチだったのも、すれ違う原因になってしまった。「ダイナマイトどんどん」「近頃なぜかチャールストン」「ジャズ大名」といった作品は、どれも期待したほどは熱中できなかった。だから、僕にとって「大誘拐」は「岡本喜八の再発見」と呼べる作品となったのだ。その後、BSなどで放映された作品は見たつもりなのだが、やはり映画館で見るのと違い、岡本喜八の全体像はつかめない。結局、すれ違ったまま、岡本喜八は天国へと旅立ってしまった。 ちなみに僕は岡本喜八と同じ鳥取県の出身なのだが、岡本喜八が鳥取出身と知ったのは、監督が亡くなってからのこと。闘病の日々を追ったドキュメンタリーを見て、初めてその事実を知ったのだから、徹底的にすれ違っていたのだと思う。こんなことを言っては鳥取の人に怒られそうだが、「鳥取みたいな田舎に生まれた人なのに、どうしてあんなにモダンでクールな作品が撮れたのだろう」と今で思う。と同時に水木しげるに比べ、あまりに扱いが小さすぎるのではないか。水木しげると肩を並べられる巨匠だと思うのだが…。 暗黒街列伝 -GUNS AND GANGS- [ 岡本喜八 ] 大誘拐 RAINBOW KIDS [ 北林谷栄 ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.06.30 17:46:10
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