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藤枝の空と緑と子どもたち

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エバーグリーン藤枝

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2007.05.13
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カテゴリ:教科書問題研究会
扶桑社版「公民」教科書批判 1 「個人の尊厳」より「家族」「国家」が大切?

 扶桑社版公民教科書は、「現代社会と私たちの生活」と題した第1章を置き、祖父母、父母、私の三世代の生活歴を調べさせ、生活の単位として「家族」の重要な意義を考えさせようとする。「家族は、人間にとって最も身近な社会であり、社会の基礎となる単位である」とし、「家族は、こうした役割分担を通して、個人に社会的な立場と責任感をあたえ、社会を生活しやすい場にするはたらきを果たしている」と記述する。そして、単独世帯(単身者、独り暮らしの高齢者、離婚)の増加で「家族」が縮小していることを問題とし、「家族が個人の集まりでしかないと考えられたり、個人が家族より優先されるようになると、家族の一体感は失われるおそれがある。家族のきずなの弱まりは社会の基盤を揺るがしかねず、家族というコミュニティを守ろうとする努力が必要である」と説教めいた論理を展開している。さらに、「自分や自分の家族が住む地域の人々とのじゅうぶんな交流がなければ、個人と家族の生活のバランスのとれたものにはならない」として、「地域の一員として公共的な精神」をもつことが重要であるという。
 一応は、憲法24条「個人の尊厳と両性の平等」を紹介し、「家族の一人ひとりを個人として尊重し、法の下で平等にあつかうことを明確にしている」とは書いている。しかし、現在の憲法や民法を批判し、戦前の「家族制度」を復活させ、「個人」より「家族」、「国家」を大切にしたい思いが現れている。
 また、両性の本質的平等に基づく合意によって夫婦を構成することを嫌っているのだろうか。夫婦には、性的分業があってしかるべきだと、わざわざコラム「家事は無償の労働か」に載せる。家族を構成する「家」を中心とした家族制度こそが社会を支え、社会の基盤をつくる大切な構成要素といいたいのだろう。
憲法24条は、ものの見事無視。公民とは、国家、社会を支える民であって主権者である個人ではないと教えたいようだ。


公民教科書の批判 2 国家のための国民に?

 市民よりも公民であるべきだ?
 扶桑社版の歴史教科書を分析してきたが、そのねらいは公民教科書に如実に現れている。
「もっぱら自分の利益を追い求めたり、自分の欲望を中心に考えたり、自分の権利を追求したりする面」を「市民」とし、それよりも「国家や社会全体の利益や関心という立場から行動しようとする面」を「公民」と分ける。そして、「社会のルールを守り、社会生活を改善し、社会を外敵から守るという課題を引き受けなければならない。」と、「公民」であるべきだと主張する。(P4「公民とは」)
 
 国の主権者は一人ひとりの国民ではない?
 ロックやルソーの「社会契約論」も言葉だけは登場するが、抵抗権や革命権などの説明はない。『私』の生活を守るために団結・共同して権力を制限し、国民の自由を守るために国家を作ったという自然法思想を排除している。「主権とは外国からの干渉を受けず、その国のあり方を最終的に決定する力のこと」であり、「国民主権というときの国民とは、一人ひとりの個人ではなく、国民全体をさす」抽象概念だという。(P74)
彼らは、国民のための国家ではなく、国家のための国民であれ、と言いたいらしい。国民の権利を守るために政府の権力を抑制する現在の日本国憲法を敵視するわけだ。

 大日本帝国憲法賛美
大日本帝国憲法を、「アジアで初めての立憲国家となった」、「当時のきびしい国際情勢を反映し、さらに強い力で国をたばねていく必要から、政府の権限が強いものであった」としながらも、「できるだけ国民の権利や自由をもりこみ、同時に伝統文化を反映させようとする努力が注がれた」とし、脚注では「 国民にたたえられた大日本帝国憲法」と書き「聞きしに勝る良憲法とたたえられるもの」という新聞記事を紹介。そして、大正時代に「民主主義を前進させようとする護憲運動のよりどころともなった」と褒め称える。
大日本帝国憲法に1ページと1行。制定に「約7年半におよぶ研究」。日本国憲法には1ページ足らず。「約1週間で草案を書き上げた」と。しかも英文の草案をでかでかと載せ、その下にはGHQの検閲を受けた出版物の写真。言論の自由のない中で押し付けられた憲法だということを印象付けたい意図が見え見え。

公民教科書の分析 3 憲法の原則を無視

 国民主権はどこへ?
 この教科書では、「主権」は国家主権であり、「わたしたち一人ひとりの」主権ではないという。また、天皇については「多くの国々で現代の君主制のモデルになっている」「天皇の権威は、各時代の権力者に対する政治上の歯止めとなり、また国家が危機をむかえたときには、国民の気持ちをまとめあげる大きなよりどころともなってきた」「天皇の名の下に政治を行う為政者に対して、高い格調と責任を求める役割を果たした」とする。
だいたいにおいて天皇は権力者に都合のよいように利用されてきたではないか。権力者に歯止めをかけてきたのは人民の権利主張だろう。

 国防の義務?
 いきなり警察予備隊の写真と「復興支援でも活躍する」自衛隊を写真で紹介。「各国は国力に応じた一定の戦力を持つことで、平和を維持しようとしており、国際法では自衛権は、その国の主権の一部とかんがえられている 」と。コラムで「国民の多くは今日、自衛隊は自国の防衛のために不可欠な存在であるととらえている。」集団的自衛権について、「権利を保持するが行使できない」「解釈を変えるべきだという主張もある」と誘導する。また、「国民の崇高な義務として国防の義務が定められている」と各国の憲法を紹介している。

 憲法改正に誘導
 さらに、憲法改正については2ページも使って改正するべきだという方向に意見を導いている。改正賛成派が3分の2をこえている国会議員アンケートをグラフで紹介し「わが国の憲法は制定以来一字一句まったく変わっていないという意味で世界最古の憲法なのである」「各国では必要に応じて比較的ひんぱんに憲法の改正を行っている」と。何十回と改正している国を紹介し、「憲法を絶対不変のものと考えてしまうと…現実問題への有効な対応を妨げることになりかねない」と改正に誘導している。

公民教科書批判 4 これでは科学じゃなくて「道徳」だ

 「経済の活動は、企業(=生産者)と家計(=消費者)、そして政府がそれぞれの立場で努力をしていく中で、人々の生活をより向上させることを目的として営まれている」(P29)という。これでは遠慮会釈ないリストラや、違法な偽装請負などを企業がなぜやるのか説明できない。一方で、公共「施設やサービスは、利潤の追求を最大の目的とする民間企業になじまない」(P52)と述べ、おまけに、「求められる企業の社会的責任」として「従業員の福利・厚生にも努め、安心して働ける職場を作ることも重要となる」(P39)というのだからその一貫性のなさに笑ってしまう。
 「市場経済の仕組みと価格」では、「商品の価格は需要と供給の関係によって変化していくが、同時に価格も、 需要量と供給量を左右するはたらきをもっている」とする。もちろん価格が先行指標だが、これではその前提で需要曲線・供給曲線が描かれるわけがわからない。また、「消費者は常に、限られた条件の下で価格を考慮しながら選択する必要がある。また生産者側も,目先の売れ行きにまどわされず、長期的な見通しを持つことが大切である」(P43)とお説教する。これは経済学の考え方とは違う。経済問題の根本は希少性であり、限られた資源を経済主体(企業・家・政府)がどう配分して使うかという問題なのである。だからそれぞれの経済主体は原理的に合理的な「選択」をせざるを得ないのである。経済理論はそこから出発し、それを分析する。引用したようなお説教では労働者を搾取する企業の論理が見えてこない。配分の不公平や環境問題の本質など社会の矛盾や問題を分析し、解決に結びつけるための議論はできない。当然、変革にもむすびつかない。
 この教科書の経済分野は、社会科学としての経済学を無視しているか、少なくとも軽視している。一方で、「消費者教育」「ゴミ処理問題」「悪徳商法」「クレジットカ―ド」など、中学生が消費活動をするときに気をつけなければならないことは大きく採りあげている。この方が中学生にとっては身近で実際的であるかもしれないが,それなら経済ではなくて道徳である。

 扶桑社の公民教科書批判 5 「第4章 世界平和と人類の福祉の増大」に逆行

 この章に35ページ分を割り当てている。著者たちの記述の特徴は以下のようなものである。1、日米外交・防衛方針の説明に終始。2、戦後の世界や日本の反戦・平和運動、公害反対運動などを無視。3、中国・北朝鮮を激しく糾弾。4、皇室や国旗・国歌の尊重。

 日米政府の外交・防衛方針の礼賛
 「日米安全保障条約とわが国の防衛」の項では次のような記述になっている。「日米安保条約(1952年)は…アメリカ軍が日本国内に駐留することを認め、(わが国の)独立と安全を保障しようとしたものである。…その後1960年に改定され、1970年以降は自動延長され今日にいたっている。…この条約は、わが国だけでなく東アジア地域の平和と安全の維持に大きな役割を果たしている」。ここには、日本を揺るがした1960年安保反対国民運動などが全く無視されている。

 中国・北朝鮮批判には情熱を傾ける
 アメリカのイラク戦争などは批判せず、例えば、課題学習「主権が侵害されるとはどんな場合か調べてみよう」では、2ページ分を割き、中国の原子力潜水艦による日本領海侵犯事件や北朝鮮の日本人拉致、不審船問題を取り上げている。拉致問題にしても、日本の侵略戦争の反省がなければ真の解決ができないのに、その言及はない。

 皇室、国旗・国歌の尊重には熱心
 戦後日本外交の歩みでは、1ページの三分の一を皇室外交の写真と文で飾っている。また2ページ分を割いて「国旗・国歌に対する意識と態度」の事例を挙げている。「朝教室に掲げられた星条旗に向かって忠誠を誓うアメリカの生徒」、国旗に直立不動の姿勢をとらず、ライフルを向けられた「青年海外協力隊員としてアフリカに派遣された青年の失敗談」、「サッカーのラモス選手の国旗・国歌に対する思い」など。
 第2次世界大戦後の日本で、「日の丸・君が代」が何故国旗・国歌にならなかったのかという説明は絶対にできないところが、彼らの弱点である。








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Last updated  2007.05.13 23:36:30
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