459249 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

藤枝の空と緑と子どもたち

藤枝の空と緑と子どもたち

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Category

Calendar

Profile

エバーグリーン藤枝

エバーグリーン藤枝

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

コメントに書き込みはありません。

Freepage List

2008.09.02
XML
カテゴリ:地域活動
 書店と図書館
  戸田書店小石川店閉店によせて

 昔の話になるが、教師になりたてのころはほとんど徹夜の毎日が続いた。授業で扱うための知識がなかったわけではないが、あすの授業をどう組み立てるか、生徒に興味を持たせるにはどうしたらよいか、わかった気にさせるにはどこに落としどころをもっていくか、そして生徒をどう活動させるか。刺激的な素材がほしかった。そんなときに頼りになるのが書店だった。夜中でも深夜営業の書店に飛んでいった。
 20年前に東京から藤枝に移転してきて、高校の教師となった。哲学を扱う「倫理」という科目を高校生の身近な悩みや戸惑いに引き寄せるにはどうしたらよいか。「現代社会」という科目で、政治経済の問題を他人事ではなく自分の問題に引き寄せさせるにはどう提示したらよいのか、歴史や地理の授業の中に生き生きとした人間の生き方が見えてくると同時に大づかみに歴史の発展の法則をどうつかませるか。悩んだときに立ち寄るのが書店だった。
 私はもともと小説はあまりたくさん読むほうではない。気が短いのか時間がもったいないと思ってしまうのか、個人的な楽しみとしての読書は、どうも私の性分ではない。授業のための調べ物や活動する前のレシピや方法論の指南書として利用することのほうが圧倒的に多い。目的としての読書ではなく、手段としての読書かな。
 藤枝にもいくつかの書店があったが、雑誌や小説ならだいたいどこの書店にも置いてある。やはり最終的に落ち着いたのは戸田書店だった。誰が選んで置いているのだろうか、週に何回か戸田書店によるのが楽しみになり、毎月3万円から5万円分くらい本を買いあさった。部屋が本で傾くのが心配になった。
 現在の勤務校になって、学校図書館が文化の蓄積場所であり発信拠点であるべきだということにようやく気づいた。図書館は学校の中心にあるべきだ。図書館は単なる読書の場ではない。授業で使える図書館で、図書館を使った授業がおこなわれてこそ、真の学力を保障する、と。点数を競わせる受身の授業から脱して、他者に伝え、働きかけようとするところにこそ、文化の伝承・創造・発展としての学びの本質があるはずだ。学びも文化も私的な所有物に押しとどめ、もちろん競争の手段、格差の根拠などにしてはならない。
 「読書県静岡」とスローガンは掲げている。朝読書を強制してみたり、専任司書を司書教諭におきかえたり、学校予算使途の学校独自裁量化などによって、図書館は学校の片隅に追いやられ、自習室と化し、ますます読書は、受験用読解力をつけるための手段だとか、個人の趣味の範囲に押し込められていく。人類の文化の遺産をどう考えているのだろうか。図書館のあり方、利用のされ方によって、その学校の教育の質がわかるというものだ。
 地域においても同じである。私的な時間つぶしの趣味雑誌や娯楽小説はどこでも売れるだろう。しかし、ほんらい書店に求められるべきは、共同化されるべき文化の継承である。
 戸田書店小石川店の閉店は、わが校の図書館にとってはもちろん、この地域にとっても大きな痛手である。これまでの選書のセンス、経営方針、および熟練スタッフによって、この地域において何らかの形で継続してもらいたいものだ。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008.09.04 21:55:41



© Rakuten Group, Inc.