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2007/05/27
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先日、お友達のお母様がお亡くなりになった
葬儀が終わり、家も片付くと、家の中はがらんとして、言いようのない悲しさが
こみ上げてくる
これから彼女は母の死と向きあって行かなければなりません
彼女はそれをしっかりと受け止めようとしています





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私もそろそろ、逃げずに向き合っていかなければ・・・
昨年4月、私の父は他界した 
その2年前、咳がつらいと病院へ行ったら、その日のうちに大きな病院へ
移された。「肺癌、あと1ヶ月半」
突然のドクターの言葉に何を言われているのか、わからなかった
震えがとまらなかった
もはや手の施しようもなかったが、ひとつだけ、方法があった。
イレッサという錠剤の投与だった
この薬の副作用は問題になっていて、当時、新聞でも話題に上った
しかし、父にはこの薬しかなかった
この薬は一日、一錠服用するだけで、吐き気やめまいなど、これまでの抗がん剤
にあった副作用は一切なかった。ただ、当初、外来で処方されていたために、
風邪だったか、の原因で副作用が起こるというものだった
幸いにして、この薬は完璧に効いた
みるみるうちに肺の影が小さくなりやがて、消えた
担当ドクターは、これほど効くというのはこれまでも例の1割ほどもない
すばらしい!と言って喜んだ。
1ヶ月の入院の後、普段と変わらない生活ができた。
これまでのことは悪夢だったのではないかとさえ思えた

が、それから一年ほど経って、薬が効かなくなってきた
肺に水がたまり出し、6リットルにもなった
それを取り出してからはどんどん体力もなくなっていった
すっかり完治したようなつもりで動きまわったのが悪かったのか、
2度目の入院からは、日に日に弱っていった
そして、大脳への転移、癌センターへ移って放射線治療を始めてからは
毎日、スイッチがひとつずつ切れていくようだった
放射線治療室の鉄の200mmはあろうかという壁そして低く響く音
プラスチックの変な匂い。
私は今でも低く響くような音を聞くと怖くて体がこわばってしまう。

父が亡くなって、葬儀の間は無我夢中だった。葬儀社との交渉、お寺との打ち合わせ
数々が分刻みで進む、まるで、下手な芝居の中にすっぽりと入ってしまったかのようだった
しかし、だ荼毘に付される時はさすがに涙が止まらなかった
遺骨をこの手で抱えたときは熱いくらいの暖かさにまた、涙がでた
暖かい父を感じたのは多分これが始めてだった

その後は父の仕事が猛然と私に襲い掛かってきた。
これをこなすために悲しみに浸っている暇はなかった。
私は父の死としっかりと向き合うことなく、箱に入れて鍵をかけこころの隅に
追いやってしまった。
ただただ、日々仕事に追われる1年だった
何もわからず闇雲に動いてきた。
自分の気持ち、やりたい事は、すべて後回しにしてしまった。
でもこれは、今に始まったことではない。
厳しすぎて要求の多い父に私はいつの間にか、それを優先させ、
自分を押し殺してきてしまっていたのだ

4月、一周忌をむかえた頃から、こころの奥に追いやったはずの箱が少しずつ
ふたが開くように、突然、フラッシュバックのように目の前に広がるようになった
これまで、涙をこぼさずにきた分、今頃になって、とめどなくあふれてしまう


こんなことをいまさらながら書くのは、担当ドクターと約束をしていたことがある
ためです

奇跡と言っていいほど、効果を発揮したイレッサという薬はその後、報道などで
ずいぶん悪者にされたため、いまでは病院ではあまり処方されていないようです
薬は風邪薬でも必ず副作用というものはあるのに、イレッサだけが得に悪者に
されました。この薬で、劇的に父が回復したのは事実です

では、なぜ死んでしまったのか
それは、1年後、効果が薄れてきた頃一般的は抗がん剤を使ってみようかと
とのドクターの言葉よりほかの声を信じてしまったのです
それは、電磁波が悪いとか、この服が体に悪いとか。。科学的なことを説いているようで
まったく非科学的で、健康食品まがいの深海ザメエキスとかなにやら怪しい療法(?)
でした。抗がん剤の効き目は100%ないが、この方法で、治ると言われた。
とその一点張りで父はこの医者を信じて死んだ。

「患者さんの中では、何もせずに治ってしまう人が何パーセントかいる。その人が
たまたま、その方法で完治したと大げさに宣伝するので、藁をもつかみたい患者
さんがだまされる。そうやって亡くなっていった方の家族はそれで、沈黙してしまう
ですから、どうぞ、こんな方法で助かることはないのだと声を上げてほしい」
ドクターは言いました。
1年以上経ちますが、ドクターとの約束は私のできる範囲でやっていこうと思っています。

頑固で自分の信じたことは絶対だった。父に優しくされたなどという思い出は
ほとんどない。これは、昔の父親は多くがこのような父親だったと思う。
仕事等を言いつけられると、できるのが当たり前だった。
いつもいきなり、とんでもない要求を突きつけられた
亡くなってからもたっぷりとその仕事は残されている

触れないようにしてきた思いが少しずつ、解け始める
いつまでも保留にはしておけない

ここまで書くのに1年以上もかかってしまった

すこしずつ向き合っていったら、その先は違うなにかが見えてくるだろうか・・・




つばくらめ 高き雲間に 隠れしを 

墨染めの袖  振りて偲ばむ



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                            最中、「飛燕薯蕷」 売茶翁











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Last updated  2007/05/28 01:25:56 AM
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