カテゴリ:ヨーロッパ
オルガとの再会
(アイルランド・2) ほんのちょっと会っただけで気が会っちゃう人って いるでしょう?オルガが、ずばりそう言う人なんです。 1986年にジュリーを一年預かった時には、まさか この子の家族と一生付き合うことになるとは、夢にも 思っていなかったのですが、ジュリーがユーゴスラビア に帰国してからも私は毎年のように会いにいってました。 そのうちに内乱が始まって、旅も途絶えてしまったのですが 戦争中も、ちょっと静かになった時に、私は食料品や衣料品を いっぱいかかえて行ったのですよ。戦争を経験してる私には それがどういう意味か良くわかってましたからね。 (詳しい事は、私の「エッ!もうアメリカに40年!」を 読んでください) そのうちにグレッグと一緒になったのでヨーロッパにはあまり 出かけなくなってしまったのですが、ジュリーの結婚式に エジンバラまで出かけたのが5年前なんです。 ユーゴスラビアは内乱後にまた、昔の6っの国に戻ったので オルガの町は、いまでは、クロアチアと呼んでいますが、 未だに経済困難で国民は貧富の差も大きく苦労をしています。 それで、オルガは時々イタリアのベロナと言う町で、体の不自由 な人のヘルパーをして小遣い稼ぎをしています。2月の末に 少ない収入なのに、そのベロナから電話をしてきました。 「ハッピーバースデー・ヒロ~コ。又若くなったわね~。いつ、プラ (彼女の住む町)に来るの?親戚も、顔をあわせるたびに、ヒロコは いつくるのって、聞くのよ。早く来てよ」と言うのです。 それで、ジュリーの双子も来月で二歳になってしまうから、急いで いかないと、大きくなってしまう!と思ったのです。でも、今は グレッグをサポートしているので、先立つものがありません。 所が上手く出来たもので、飛行機のマイレージ・カードを見たら、 ロンドンまで往復できるだけあったので行くことに決めたのです。 ジュリーは、私がついた翌日オルガが着くように計らってくれた ので、再会できたのです。 「カコシ!ドラーゴ・モヤ・セストラ・ヒローコ!」 と、ハグ、ハグ!感激でしたよ! ★★訂正事項 Luisaルイサのことを、昨日はエリサと書いてましたね。 やっぱり、時差ぼけだったんだ。何を考えていたのだろう? オルガとは、一生の友達です。 ヨーロッパでは、カフェーに行くのが習慣です。お茶の時間ですね。 こぎれいなモールがありました。 毎回ポチと押してくださると書くエネルギーになります。 たまごっち・みたいなもんです・・・・感謝! 人気blogランキングへ クリックで、私のデジブック・サイトにとびます お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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