カテゴリ:カテゴリ未分類
かぞえうた アメリカで暮らすようになって60年たつが、元旦におせち料理もつくらず、バスローブを着たままで、パサディナのローズパレードをテレビで見るだけでも別に惨めだとも不謹慎だとも感じなくなった自分がいる。つまり、だんだん私の中から日本が遠ざかっているのだろう。両親もいないし、疎開先で育ったオーシャンフロントの家も、国道1号線になってしまったし、東京に戻ってやがて住みだした掘立小屋もモダンな二階建てになって従兄の二代目の家族が住んでいるし、渋谷から乗ったグリーンの路線電車の辺も高速道路になっているしで、さしずめ浦島太郎の心境なので記憶のある内にせめて文章の上だけででも残しておきたい。それでも寂しいという感情すらなくなっているのは一重にネットのお陰だと思っている。 私がこうなった一番の理由は、1960年代の南カリフォルニア、特に白人社会のラグナビーチは陸の孤島のような感じで、和食材などはロスアンゼルスの小東京でしか買えないものだと思っていたからで、そうなるとまだフリーウェイ5もナッツベリー・ファームより南は無かったから、遠くて年に数回しか出かけなかったし、夫の収入も少なかったから行ったとしても本当に少ししか買えなかった等の理由で和食からどんどん遠ざかっていったのだと思う。 我が家では、感謝祭とクリスマスを大々的にやるので、元旦はたいていクリスマスディナーの残りとか、捨てたいほど沢山あるクリスマスギフトの甘い物を、いやという程食べる事になる。ありがたい事に現在では一年中、切り餅だけでなく和食材は殆どなんでも、いつでも手に入るのでおせち料理を食べたくなると好きな時につくっているから全く不満もかんじなくなったのだろう。 戦前、祖父母は青山通りに30軒近くの貸店舗をもつ大家主であった。自宅も日本館と西洋館の二軒あり、西洋館の方はドイツに留学していた叔母が帰国するまでという条件で作曲家の山田耕筰さん一家に貸していたから、後に有名になった音楽家の仲間が出入りしていたらしい。カリフォルニアで『パイプのけむり』という團伊玖磨氏のエッセイ集を読んでいたら、その中に「青山の耕筰先生のお宅におじゃましたとき・・・」というような一節が出て来たが、それはきっと祖父母たちの家のことだろうと思った。父は軍艦で南太平洋の辺で戦っていて日本にいなかったから、私も疎開するまで祖父母と一緒にその日本館にすんでいた。 パーティー好きだった祖母は、毎年のお正月には自宅を開放してテナント家族全員招待し、餅つき大会をやったり、お酒やおせち料理を振る舞い、子供達には賞品付きゲームなどを用意し、お年玉もあげていたそうだが、東京大空襲で自宅はもとより『魚屋』『豆腐屋』『金物屋』『自転車屋』『下駄屋』『時計屋』などなどの貸店舗などという前に、港区全体が灰になってしまったために役所の記録も消え去ったわけで、我々がのんびり疎開先で暮らしていた間にテナント達は焼けあとにすぐ掘立小屋を建てて住み始め、祖母が戻った頃は自宅のあったところにまで隙間がないほど掘立小屋が建っていて、法的にも全部居住者のものになってしまった。戦後は早い者勝ちの世の中だったので、知らずに疎開先で暮らしていた人々はホームレスになってしまったのである。 更に、なまじっか祖母のように元華族などは焼け跡に手あたり次第の材料で掘立小屋を建てる、というような発想すらうかばなかったのだろう。その上、大空襲後すぐに焼け跡を見に行くような大人の男性もいなかった。ちなみに、西洋館の方は戦争が始まって山田一家が引っ越した時「お国のために兵隊達の宿舎として無料で提供するように」という軍の司令本部からの命令であけ渡したが、それも灰になった。 そういう理由で、疎開先の貸家でのお正月も質素であったから、いまだに豪華絢爛のおせち料理がなくても悲しくもない。私は幼児だったわけで、それが当たり前だと思って育ったからで、かえって昔贅沢をしていた母や祖母の事を今考えると、どんなにか無念であったろうかと、かわいそうになる。 私は祖母が母の着物をほどいて作ってくれた着物をきてお正月の挨拶をし、簡単なおせち料理であったが、大正天皇の御生誕祝いに明治天皇からいただいた菊の御紋のついた朱塗りの盃でおとそをのみ、祖母が鼓を打ちながら観世流の鶴亀などを謡ったり、皆で百人一首をしたりで、内容は濃かったと思う。 まだ、弟も妹もいなかったから一人っ子のように祖母に可愛がられ、 「ひとつとや~、ひと夜明くれば賑やかで~賑やかで~、お飾り立てたり松かざり~松かざり~」とかいう、数え歌などを教えてくれたので、元旦になると、その歌を思い出す。それが、私の新年の祝いの一つになっている。 (この盃は私の手元にある) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
お正月は記憶の中なのですね。
(2023.12.31 15:37:06)
maki5417さんへ
Maki さん 明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。 そうなんですよ、もうお正月だからといって、おせち料理などしていません。ごく普通の日になってますが、1月、2月は友達を招いて、「おでんの会」をやってます。そこには、長年アメリカに住む日本人の共通の話題も沢山あるので、おでんをつつきながら、楽しめます。これで充分になっています。外国に住むというのは、こういう感じですね。 ただね、やはり90%の日本人は多分、家族なり、友達なりと集まっておせち料理に近いことをやってると思います。ブログ仲間には、毎年通例の餅つき大会を開いて、30人くらい招いて祝ってる人もいます。 (2024.01.08 06:03:49) |
|