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宗教には各々いろんな考え方があると思いますが、私は
「自分を不幸にする、苦しめる宗教などというものは根本から否定すべき」 だと思っています。というか本来、宗教は人々を救い、よりよい生き方のための教えであるからこそ信仰の対象足りえる存在だと思っているからです。 旧統一教会の信者が、教団に多額の財産をお布施として取られた挙句、生活困難、家庭崩壊、人生破綻といった状況になっている被害者がたくさんいることを考えると、それは人生を不幸にして何も得られない、どころか大切なものを失わせる教えを信仰する理由がどこにあるかと。前世とか、来世の救いより、まず今の自分を救わないで何が幸福か・・・ いつも思う。神様というものが直接現金を信者に要求することはない。神社のお賽銭も、お寺のお布施も、キリスト教の寄進も、その他すべて「その宗教にかかわる人」が求めていることだ。で、本来、信者が生活苦にあえいでいるなら、困った信者からも容赦なく金をむしり取るのではなく、与えるのが本来の救いだろう。それが行われない宗教を信じる必要はない。 祈る相手は宗教家や教団、高額で売りつけられた壺などではないはず。 神が自分を救ってくれるのだとしたら、「こいつはお布施を多額出しているから幸せにしてやろう、こいつはお布施が少ないから不幸にしよう」などという俗物的な価値観の神様など信じるほどの神ではない。それは貧乏神とかそういった類の神様だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.10.05 07:42:42
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