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2016年11月11日
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テーマ:戦ふ日本刀(97)
カテゴリ:戦ふ日本刀
 
 刀の扱い方の訓練
 
 これは剣道の部類に属する話であるが、
抜き打ちという事は白兵戦上よほど関心すべき事であって、
昔の侍は、現在のごとき剣道は基本としてこれを行い、
しかる後必ず抜刀居合術を訓練したものである。
俗に“抜打三年にしてようやく形定まる”とかいって、
抜き打ちの稽古などは、十日や一ヶ月習ったくらいでは、役に立つものではない。
撃ち合いというものは、抜いてから後に始めるので、
自分の抜かぬ先に機先を制されて、
修練の功の積んだものに先を仕掛けられてはどうにもなるまい。
例えば、敵は拳銃をサックに入れて持っている。
こちらは一刀を帯している。
双方いざ闘うという時分に、敵の手がサックにかかった刹那、
こちらが抜き打ちに出れば勝利はこっちのものだ。
しかるに、敵がサックから拳銃を出し、
こちらは刀を鞘から抜いて青眼に構えたのでは、こちらの負けだ。
これは一つの模型的な例として述べたものであるが、
この抜き打ちというやつが、いざ戦争となって誰でもできるものでない。
かような事は理屈ではない。実際に当たってみなければわからない。
第一、竹刀木剣ばかりで修練したものが、急に真剣を持つと、
自分の刀でよく自分が怪我をする。
縛り首を斬って、自分の向こう脛を切り込んだりするのもそれだ。
戦地では、こうした怪我がすこぶる多い。
真剣の扱いになれるという事は、武道の重要な要件の一つである。
それも居合術の一分科である。
 海老名部隊の大石少尉は、
「刀を扱って、自分自身の刀で怪我をしないという自信をもてる人が幾人あるか。
自分の部隊の某将校は闘わざるに我と我が刀で負傷して後送された。
指を一本落としたり、手のひらを切り込んだくらいの事実はざらにある。
いやしくも帯刀本分者は、刀の操作を十分に訓練しておく必要がある。」
と、しみじみと語った。
 居合術というものは、切りつけの諸規範のほかに、
刀のさし方、下げ緒からみ、鯉口の切り方、柄手のかけかた、
握り方、鞘手の方法、抜き方、血の拭い方、納め方等々、
抜き方にしても、刀の棟で抜く朽木または大根折りというような伝のある事など、
仔細にわたし、刀の性能に順応して、刀を活用する事を訓練するもので、
こうした訓練に熟達し、微細な点にも、ほどんど本能的に注意を集中し、
無意識の中に自己に安全に戦いうる事を教えるもので、
居合と剣術とが車の車輪のごとく熱(※原文ママ、熟か)達得度して、
はじめて剣道と称する域に到達しうるのではなかろうかと思われるのである。
 剣舞のまねをして、それで居合術と心得ているとすれば、それは大間違いである。
居合術とは、剣道の基本に習熟したものが、
真剣のすべてをつかいこなす実戦の奥妙〔おうみょう〕であると心得うべきであって、
いかに竹刀剣道に熟達していても、
それだけでは実戦に完全に即応できるとはいい得ないであろう。
 ついでに、物斬りの実際であるが、
自分は前記のような戦闘物斬りに偶然ぶつかった事が二回、
刀を以って敵の命脈を断ついろいろな場面を目撃する事二十数回、
自分の試し切り三回の経験によるに、
力まかせに打ち下ろしただけでは容易に斬れるものではない。
負傷させ深手を負わせる事はできるであろう。
“引き切る”という気持ち、それは意識的でなくても、
平素そうした訓練をしておかぬ限り、一刀ですぱりとは行かない。
刀には反りがあるから、叩いても引き切る理屈だというものがあれば、それは空想に近い。
叩いただけで引き切る作用を起こさしむるには、
二尺二、三寸の刀で少なくとも四、五寸以上の反りがなくては叶わないが、
そんなものは刀として用いられない。
刀の反りというものは、斬撃の円形運動に順応するため、
すなわち振り回しの便利のためにつけられたもので、
切断作用のためのものでは決してない。
二尺三尺の刀につけられた、五分内外の反りが、
刃先にどれだけの影響を与えうるものか、
平直面の上にその刀先を置いて目測しただけでも知れる事で、
そうした作用に対しては直刀とほとんど変わらぬ事を発見するであろう。
 切断作用というものは、畳のとこを、
畳屋があの刃先の荒い包丁でさあっと切るようなものだ。
畳屋の包丁は、ねた刃の例として、物斬りの例として、
最も好適な模型的例証だと思う。
 筆のついでであるが、昔の侍は、戦争の場合、
いずれも刀の鍔元から五、六寸のところの刃をひいて用いた事が伝えられている。
これは、自分の刀で自身に負傷させる箇所は多くこの鍔元であり、
実戦にあたって、ほとんど用のないのもまたここであるから、
武道の熟不熟を問わず、この部分の刃をひいておく事の安全な事をおすすめしておく。
 要するに、武道教育というものは、昔の各藩の武士教育のように、
それだけで立派に戦闘のできるように、各武術を総合的に修めるのでなくては、
実戦的武術とはいわれまいと思う。
しかしこれは理想であって、
今日のような複雑な生活様式の時代には行われない事かも知れぬが、
少なくとも、剣術居合の総合的教範ができ、
それによって本当の剣道が完成されなければならないと信ずる。





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Last updated  2017年04月21日 01時14分26秒



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