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カテゴリ:心あひの風
兵衛尉はようやく気づいた。
この世は、確かに救いようのない冥さに満ちている。それが人の世というものなのだろう。 千手や播磨が庶民に生まれた悲哀を背負ったように、自分も貴族として生まれた宿命を背負って行かねばならない。どれほどその道が冥かろうとも、自分の背負った宿命の中で、苦しみのた打ち回りながら必死に生きて行かねばならないのが、人と生まれたさだめなのだ。どこへ逃げようと、そのさだめから逃れることは出来ない。 だが、そのような冥さの中にも、一条の光はあるのだ。浄土の面影を宿した一条の光が。 千手は恋しいものを守るために一瞬の命を燃やし、播磨は仏の道に救いを見出した。 自分には何があるのだろう。 兵衛尉にはわからなかった。 だが、どこかにそれはあるはずだ。そしてそれは、自分の背負った宿命、すなわちここにしかない。 越前は遠くにある浄土の光だ。いつか、そこで見た光を、この京の都で見出すことが出来るだろう。 いつか、必ず……。 兵衛尉はしばらく月の光に照らされながら、空を見上げていた。明るい満月が微笑むように、彼の顔を見下ろしている。 彼の胸に、千手の笑顔が浮かんで、消えた。 月明かりが内裏の庭に敷かれた白砂を照らしている。両脇を殿舎に挟まれて清涼殿の方へ続く小道にも、白い砂がぼんやりと輝いて、まるで浮きあがっているかのようだ。兵衛尉には、それが自分を導く験(しるし)のように見えた。 兵衛尉はいつの間にか袍の袖に溜まっていた夜露を振り払うと、しっかりとした足取りで、元来た道を戻って行った。 (終) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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