怒りの感情は初一念ではない
腹が立ったときどうしたらよいかから出発してはならない。腹が立った時は具体的な出来事から出発しなければならない。例えば、自動車を運転しているときに、もう少しで事故を起こしそうになった経験は多くの人が持っている。交差点で自分が直進していた。すると急に対向車が目の前を右折してきた。もう少しで事故を起こすところだった。血の気が引くような怖いという思いをする。でも口をついて出る言葉は、「どこに目をつけてるんだ」という怒りの言葉である。ここで大切なことが分かる。普通は怒りの感情は「純な心」であるとだれもが思っている。最初に直感的に感じた感情だと思っているのである。でも実際に具体的事実にあたってみるとそれは違う。怒りの感情は、二次的感情なのです。この場合一次的感情は、血の気が引くようなぞっとした、怖ろしかったという感情なのである。これがまさに最初に沸き起こった感情なのです。ここから出発すれば間違いはない。怒りの感情はその次に出てきた感情です。ここを見誤ってはいけない。こんな例はいくらでもある。子どもが家に連絡もしないで帰宅が遅くなった。それで腹が立ったというけれども、最初の感情は何だろうか。変な事件に巻き込まれていないだろうか。どうか無事であってほしいという気持ちである。森田理論学習では初一念を大切にして、そこから出発しなさいと教えています。でも怒りの感情が初一念ではなく、初二念、初三念だとすると、そもそも最初から間違った行動をとっていることになります。集談会でも「私は腹が立ちやすいのですがどうしたらよいでしょうか」「腹が立ったのは純な心だからそのまま相手にぶっつけてもよいのではないか」という質問はよく聞く。普通はほとんどの人が、怒りを「純な心」だと勘違いしています。そんな時、腹が立つというのは「純な心」ではない。その前に見落としている初一念が必ずあるはずだ。それこそが宝の山であるという意識を持っていると、その後の展開はぜんぜん違ったものになる。交差点の話では、相手に対して「さっきはとても怖い思いをした」と言えば丸くおさまる。ところが「お前の運転はどうなっているのだ」と怒りをぶっつけると火に油を注ぐような結果となる。そのためには、抽象的、観念的に怒りについて議論するのではなく、具体的事実を詳細に検討していくことが不可欠です。