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テーマ:防犯(381)
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D・J・ブーアスティン氏の著書「過剰化社会」より、 “貧しい者、しいたげられた者、抑圧された者の悲惨を救う方法ははっきりしている。食糧(しょくりょう)によって飢餓(きが)は救われる。しかし、豊かなるものの不安、飽食せるものの倦怠(けんたい)、自分たちの分け前を受けるようになっていながら、十分なものをもらっていないと感じている人々の反感、自分たちの真の必要が充足されているのかどうか分からないような段階になって感じる「必要」につき動かされている人々の困惑、こういったものへの対策はどうしたら良いのだろうか” と、あります。ちょっと難しいので、私なりにおおまかに訳してみました。 先進国「日本」に住んでいて、食べ物はあふれ、雨をしのげる屋根のある寝れる場所もあるのに、豊かな生活を過ごしているのに、何かが足りないと感じていませんか?心の中に、なぜか満足できていない自分がいませんか? 食べるモノが無い人たちを救うには、「食糧」の援助で救えるはずです。 今、満足できる生活レベルのはずなのに、真の満足ではない!と感じていませんか?実は、そう感じている人が多いのです。この終わることの無い満足を求めることを、どうやったら止められるのでしょうか? 何がいいたいのか、と言いますと、理由なき犯罪が起こったりします。お金を持っているのに万引きをする主婦たち。スリルからなのか、何なのか。少年少女の犯罪で、何だかムシャクシャしていたから、なんて理由で暴行傷害事件を起こしたりします。 これらの事件を防ぐためには、ブーアスティさんがいっているように、真の満足を手に入れる方法って何か無いんでしょうか?もしくは、もう必要なものはすべて手に入れたと思える方法って、無いのでしょうか・・・? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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