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カテゴリ:日常
友達が家に遊びに来た。
一緒にお昼を食べ、色々な話をした。 私からすると、彼女は目の前の出来事に対する深い感情を味わい尽くしている。 さみしい、辛い、嬉しいと感じた出来事を話してくれるのだが。 いつもドラマチックな展開で、私には楽しそうに映る。 しかし、本人は辛いのだと言う。穏やかに暮らしたいと。 そんな時、私は違和感を覚える。 口から出る言葉と心が真逆のことを言っているように感じるからだ。 私に本音を言っていないか、自分でも本音に気がついていないかのどちらがなのかもしれない。 目の前の出来事を、感情を通さず、まず観察する私にとっては。 感情を存分に味わうことはできない。 私の人生という物語の本を第三者として読んでいるような感覚だからだ。 感情を存分に味わい尽くす世界は、どんなにキラキラしているのだろう。 辛い感情を味わっている時にしか見えない景色があるはずだ。 とても羨ましいという話をした。 すると、彼女は。 感情の起伏をそんなにプラスの捉え方をする人は、私の周りにはいないよ!と言った。 私の羨ましいという感情は、彼女にはプラスの捉え方とうつるのだなぁと思った。 先日、一緒に埼玉のライブへ行ったお友達とこんな話をした。 人間関係で、ドラマチックな展開が起こる時。 例えば、一緒に食事をしようと入った飲食店で。 相手にお金を投げつけられたというものや、相手のために買ってきた差し入れを投げられたというう出来事は私の中で結構ドラマチックな展開だなぁと思ったのだが。(それぞれ、全く別の友人の体験談) その登場人物の一人が、もし私だったら。 もしくは、一緒にライブへ行った友人だったら。 多分こんなドラマチックな展開は起こらないよね〜と話した。 友人は、そもそも「トラップに引っかからない」と表現した。おそらく、相手の挑発に乗らないという事なのだろう。 一方、私は。 トラップだという認識もない。 旦那によく言われるが、嫌味を言っても反応がないタイプなのだ。 鈍感という言い方をよくされるし、否定もしないけれど。 そこに意識を向けていないというのが、私の中で一番しっくりくる。 そこに、電柱があるなーと認識する事と。 嫌味を認識する熱量は何も変わらない。 ドラマチックな展開は。 ジェットコースターのような感情を味わいたい人が集まった時にしか起こらないのだと思う。 心の中に。 その時、同じ火種を持つ者同士が反応して。 ドラマが起こるのだと感じている。 それを味わった人だけが見える景色がある。 どんな景色を、深い感情を味わっているのだろう。 話を聞かせてもらうという事は。 とても素敵な事だなぁと思う。 違う世界を疑似体験し、私の世界も豊かにしてくれる。 私の世界も、少しずつ他の人に話をして。 お互いの世界がカラフルに染まるといいなぁと思った。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.11.25 20:46:28
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