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テーマ:ちょっと不思議な話(64)
カテゴリ:不思議な話
先日、突然腑に落ちた。 「霊」と呼ばれる人達との間で経験してきた感情や、感じたエネルギー達は。 私の容姿や才能など、この肉体では体験できない感情やエネルギーを感じる為に必要だったのだなと。 沢山のことを経験したい!と設定して生まれてきた私は。 とても平凡な顔で、印象も薄く、人々の記憶に残りにくい肉体を持って生まれてきた。 人間関係で、憎悪に近いほどの嫉妬を向けられたこともないし、怨みとか殺意のエネルギーを感じることもなかった。 私の周りには、美しい容姿の友達が多く。 その人が経験する現実を聞くと、なんとドラマチックな展開なのだとびっくりしていた。 常に、嫉妬や憎悪にも似たエネルギーにさらされて。 彼女達が発する言葉は、そんなエネルギーによって捻じ曲げられていく。 孤独を感じやすい環境で、過ごしてきたのだろうなぁと思う。 私は、人間関係であまり苦労をしてこなかった。 ザ日本人の顔の私では、友達のような経験はどうしてもできないのだ。 なんとなく、壮絶な事は経験しなくていいじゃんと思ってしまうのだが。 それすら経験する!と決めてきた私がこの肉体で感じる為に選んだのは。「霊」と呼ばれる人達との人間関係だったのだと腑に落ちたのだ。 私が生きているだけで妬ましいと視線を送ってくる「霊」 ものすごい殺意を向けて、毎日私に殴りかかってくる「霊」 仕事中に、ずっと後ろから引っ張り邪魔をしてくる「霊」 話しても、誰も信じてくれない世界で。 思い当たる事が全くないのに、勝手に嫉妬されている気分だし、通り魔のように、突然の殺意を向けられて怖いし、私だけが標的にされて常にいじめられているような気分だった。 誰にも、共感してもらえない世界。 私も、常に孤独と向き合っていた。 人間の感覚は、本当に優れている。 どの方向から声をかけられているのか、感覚でわかるし、 人の気配を感じ、どれくらいの距離にいるのか、ちゃんとキャッチしている。 普通の人は、生きている人にしかセンサーが反応しない設定なのに。 壊れてるんじゃない?と疑う、反応の良すぎる自動ドアのように。私の感覚は、ちょっと狂っている。 ここ数年は、「霊」と呼ばれる人達と繋がる事がほぼ無くなった。もう、感じ切ったのかもしれない。 今生きている人のエネルギーに私の興味が移ったからなのかも知れないけれど。 前よりもっと、面白いものが見えるようになった。 これもおそらく共感してもらえないので。 相変わらず、孤独とは向き合っているけれど笑 今、生きている人のエネルギーは凄い。 おばあちゃんが、「生きている人間が一番怖いんだよ」と私によく言っていた。 生きている人の嫉妬や憎悪のエネルギーが、どれほど重いものかを感じるようになってから。(正確には、意識するようになってから) 私もそう思うようになった。 私の出すエネルギーが。 その場に循環している。 普通の人は、見えないのだろうけれど。 私が心を整えて、健やかでいる事がどんなに大切な事か。 エネルギーが見える私は日々痛感している。 黒く重いエネルギーを撒き散らす人が。 心を整えるだけで。 その場の空気がどんなに清々しくなるか。 車の排気ガスや、タバコの煙と同じように。 目に見えれば分かりやすいのになぁ。 孤独と向き合う私は、寂しくなるといつもそんな風に思ってしまう。 黒く重いエネルギーを撒き散らす人も。 感じたいことを、今感じているだけで。 私のように、ただ経験しているだけなのに。 寂しくなると、私の好みに寄り添って欲しくなる。 健やかなエネルギーが好みの私に。 なんだか、寂しいんだ。 そう家族に伝えてみよう。 秋の訪れを、感じているからなのかも知れない。 私の大好きな秋は。 寂しくて、暖かくて、悲しくて、赤い。 (前世の記憶だと思われる。「誕生日」に記載) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.08.29 18:11:02
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