テーマ:平和への祈り(104)
カテゴリ:今日は何の日
昭和20年3月10日東京は米軍の大空襲によりいたるところが焼け野原になり一夜にして約10万人の尊い命が奪われました。東京都は平成2年「平和国家日本の首都として、戦争の惨禍を再び繰り返さないことを誓う」として「東京都平和の日条例」を制定し3月10日を「東京都平和の日」と定めました。
東京大空襲の可能性は日米開戦以前にはすでにあったとも言われています。日本軍が中国の重慶を無差別爆撃、断続的に218回の爆撃が行われました。これは日米開戦以前の出来事です。国際社会では日本は徹底批判を受けていました。 重慶無差別爆撃にアメリカは激怒、まだ日米開戦前にもかかわらず米政府閣僚は「東京を火の海にして同じ苦しみを味わわせる必要がある」と発言していたそうです。 日本政府内部でも首都の空襲は懸念されていました。対米英戦を決定した御前会議で枢密院の原議長が東京に空襲があった場合「火災の場合踏みとどまって火を消しても東京のような建築物で火を消し止めることができるものですか」「万一東京に大火災が起きた場合はいかにされるか」「対策を講じているのかどうか承りたい」との質問をしています。 参謀総長の杉山元も内務大臣を兼任する東條英機も返答することができず何も語らず黙ったままだったそうです。企画院総裁の鈴木貞一が「食料は充分に準備してある」焼け出された住民に対し「簡易な住宅を準備してある」と答えたとのことですが、被害を十分に想定もせず対策も極めて安易のまま開戦決定が優先されたということでしょう。 国を守ろうとしても国民を守ろうとしなかった日本、そして安易に戦争に突入した日本。その結果の悲惨さを忘れてはいけません。 国際情勢の中で開戦はやむえをなかったという意見も多数あります。でも中国大陸から撤退することで戦争は回避できる可能性は大きかったし、中国大陸からの撤退が日本の将来を考えると望ましいとの意見もありました。連合艦隊司令長官山本五十六も開戦は無謀と断固反対の立場でしたが最終的には御前会議の決定に従わざるをえませんでした。 東京都では本日「東京空襲で犠牲となられた方々を追悼するとともに、平和の意義を確認し、平和意識の高揚を図るため、記念行事を実施します」とのことです。 また「東京大空襲をはじめ戦災で亡くなられた方々を追悼するとともに、世界の恒久平和を願い、記念式典では14時から1分間の黙とうを行います」「これに合わせ、皆さんも黙とうをお願いします」との呼びかけも行っています。私もこの時間に合わせ黙とうし世界平和を願います。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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