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書けば未来が開ける!かな?

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2006.06.26
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カテゴリ:書く目的

続きです。

一方、子育てを通じて親が成長するという話をいろいろなところで読んだり聞いたりしたことがあります。これは普通に言われていることですね。

子育ては子供とのコミュニケーションです。子供は親の言ったことを目隠しで、その字面を単調に聞いているのではありませんよね。発せられた言葉はもちろん、そのニュアンス、動作、表情、場面いろいろな要素を複雑にとらえているでしょう。

そこで、成熟した親のイメージは、言葉、表情、動作等を通じ、意図したことを意図したとおりに伝えることが出来る状態ではないかと思います。ですから子供に混乱を招きません。

(ニコニコ呼び寄せながら、言葉にはトゲがあるような例はその逆ですね。あるいはそれ以外でも、言っていることと、実際の態度や感じ取られるメッセージが首尾一貫していない例もそうです。この辺に踏み込むと心理学の分野になってくるのでしょうか。)

子育て日記を書くという行為は、親自身も自分が伝えた、あるいは伝わってしまったメッセージを考え直すものだと思います。子育て日記をつけることで、自然とPDCAを回します。この行為は、単調に作業として子供を相手にするよりも、大きな気づきを与えてくれるはずです。

(PDCAサイクルを回すということが、ふと浮かびました。私が言うまでも無く、Plan Do Check ActionのPDCAです。)

書くことだけでは成長は難しい。コミュニケーションというフィールドで実行した内容を書いて反省し、次のフィールドワークに備え、そして、試行することでさらに意図とメッセージの一致をはかるべく努力する。そのスパイラルアップが、結局は人間的成長なのではないでしょうか。

自分のコミュニケーションを見直し、次に生かすこと。自分のアクションが及ぼした相手へのインパクトを考え、言葉だけでなく、言外の意味としても本当に伝わる(伝わってしまう)メッセージを深く考えることが、結果的に自己の成長を促すことになるような気がします。

毎度書いている、作文のことについても、ハッと思い至ることがありました。「作文で劇的に学力が伸びる」のではなく、「作文で子供が成長する」というのが正しいという考えです。

作文で、状況を描写することは、その状況が意味することを自分で考えたり、計算することになります。情景やセリフで伝わる、本来の意味(状況やセリフに隠されたメッセージ)を考えることになるのではないかと言うことです。これは、緻密な観察、鋭い直感や洞察を必要とします。

つまり、高度な作文は、単なる手法を超えて、友達や先生や親との交流を通じた状況を分析し、描写表現として紙に書きつづることになるのです。結果として、その中のメッセージ性を探り、知らず知らずにコミュニケーションの力を磨くことになります。

外面的には成績の向上として現れてきただけです。数値的に測れるのは成績だけですから。恐らくは一連の過程を通じて、グッと成長したのです。

「成長した」というのは、前よりもさらに、他人との間に信頼関係を築くことが出来るようになったと言い換えることが出来るかも知れません。

これを逆にいうと、たとえ何かを書いても、信頼関係を築けなければ、成長していないということです。子供との間に信頼関係を築くことができれば、それは親として成長したということでしょうし、上司と部下との間、同僚との間に信頼関係が築ければ、それは社会人として成長したということでしょうね。

でも、書かずに会話で代用する人もいると思います。当然、書かなくても成長する人はいるはずですから。

会話を通じて考えをまとめていく人もいます。話しているうちにどんどんアイデアが固まる経験は思いあたる人が多いのではないでしょうか。

正しい解釈ではないかもしれませんが、カウンセリングが、部分的にそれに当たるのではないか思います。カウンセラーは答えを与えるわけではなく、手助けしてまさに「気づき」を促すということを本で読んだことがあります。もちろん、その中で書くというツールを有効に使うことはあると思いますが。

そうですね。書くというのはツールです。上の例では会話もツールになりえます。道具です。別に見下す意味で言っているのではありません。それ以上でもそれ以下でもなく、うまく使えば効果があがるはずだということです。

まとめると、書くという行為の目的は、自らを成長させるためですが、書くという行為自体は、成長のための道具の一つです。うまくその道具をつかい、人との交流における自分自身を見直すこと。これによって、相手を尊重しつつ自分の意図を正しく相手に伝え、人との間に信頼関係を築くことが果たされる。つまりは成長する。というのが今日の結論です。

人とのかかわりがストレスになる、私のように「擦り減る」などとコメントしてしまうのは、成長を避けていると自ら暴露しているようなものかもしれません。ただし、人によって事情は違うので、一概にそうだとは言えません。私の場合はそういうことだと思ったわけです。

恐らく、そこに切り込んでいけば、見える世界がまた違ってくるはずです。そんなことを考えて、自分の行動・言動を書いて振り返ることを今後はしてみたいと思います。

※本文中のリンクは過去への記事のリンクです。

学生カウンセリング
↑多分、カウンセリングについてはこの本で読みました(商品リンク、在庫なし)





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Last updated  2006.06.26 19:11:25
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